長らく更新せず、大変失礼しました。
震災から9ヵ月が経過しました。
感覚としては、長いのに、あっという間の、非常に不思議な時間が流れました。
12月に入り、恩師、友人、知人から多くの喪中葉書が届いており、
被災地の人々の苦しい記憶は薄れることがないことを実感しています。

3月11日の震災では、当日に被災地に入り
その後、ひたすら走り続ける日々がしばらく続きました。

高校バレーの取材で通った高田高校がある陸前高田市、
学生時代の友人がいて、よく伺う寿司店がある大船渡市、
野球仲間が大勢いる釜石市、
家族でキャンプをした大槌町、
小学生のころ好きだった遊園地があった山田町、
そして、生まれ育った宮古市。

思い出が詰まった街がボロボロになっていました。

商店街の真ん中に船があって、
店の中には、車が突っ込んでいて、
粉々のガラスも、ひしゃげたシャッターも
そのままになっていました。

取材の最中に、
温かい話を聞くと、知った友人に会うと、悲しい現実を見ると
知らぬ間に涙が出てきました。
それでも、希望の光になるものを探し、伝え続けました。
それでも、飛びこんでくるのは悲惨な現実の方が圧倒的に多かったです。

「もう、子供たちは、この街に住み続けたいと思わないだろう」
そう感じていました。

震災から1週間ほどが経ったとき、
母校の中学校の卒業式の取材をしました。

式の後、あるクラスで、将来の夢を語り合うのを見ていた時、
女子生徒の言葉にハッとさせられました。

その女子生徒は、泣きじゃくりながら、呼吸を整えながら
「私の夢は、ケーキ屋さんになって宮古に店を出すことです。
前の宮古よりも良い街にしたいです」
と語りました。

その前日には、商店街で
飲食店を経営する中学時代の同級生と出会いました。
正面玄関が破壊され、泥だらけの店に ホースで水をあてながら
「こんなになっちゃったよ。やり直すしかないね」と笑いました。

若い人たちも、好きなこの街に住み続けたいと考え、
復興に向けて心を強く持っていることに気づかされました。
「まだ行ける。この街は復活できる」
と感じると同時に、テレビや新聞を通して聞こえてくる
全国の方の応援の声が支えとなり、
「被災地は前に進める」と確信したのでした。
この場を借りて、皆様にお礼を申し上げます。
ありがとうございました。

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さて、めんこいテレビのアナウンサーは、全員が記者の仕事もしています。
私は、通常のニュース取材以外に、
震災から1ヵ月、3ヵ月それぞれの特別番組を
ディレクターとして制作したほか、
現在は、報道のニュースデスクも務めています。

ニュースデスクとは、その日のニュースの責任者で、
スポーツで言えば監督にあたります。
取り上げるニュースを取捨選択して時間を配分し、
記者に取材の手配をする役割です。
記者が書いた原稿・スーパーをチェックし、分かりやすくなるよう書き直し、
ニュース本番では、画面の切り替わりを操作しながらスーパーを出します。
全国に注目されるニュースがあれば、フジテレビとの橋渡しも行います。
(会社によって、細かい作業は違いますが…)

これまでは、キャスターとしてニュースをお伝えしてきましたが、
裏からしかできないことにも力を注ぎ、
みなさんに必要な情報・話題を届けていければと考えています。

被災地の現実は、復興にはまだまだ遠い状態ですが、
心も風景も前に進み続けています。

これからも、変わらず被災地に寄り添った報道を続けて参ります。