トップ > 目と耳のライディング > バックナンバーインデックス > 2001 > 第14回


◆第14回 睡蓮に囲まれる( 31.December.2001)

〇モネ展−睡蓮の世界
岩手県立美術館 2001年12月18日-2002年2月11日
 一般 1200円(950円)
 高校生・学生 700円(550円)
 小学生・中学生 500円(400円)

 19世紀以降の絵画が好きで、海外の美術館にも何度か足を運んだ。パリのオルセー美術館で初めてマネの「オランピア」を観たときは脚が震えたものだ。そして、写真で観る絵とはずいぶん違うなあ、と思った。ライヴコンサートを聴かないと音楽の本当のよさがわからないのと同様に、絵画は実物を観ないことには何もわからない。そのことを改めて思い知らされた。ニューヨークのメトロポリタン美術館には印象派の超一流の絵がどっさりあった。セザンヌに四方を囲まれた部屋で、「ここでなら死んでもいい」と妙な感激の仕方をしたことも忘れられない。
 パリのマルモッタン美術館やオランジュリー美術館は、ルーヴル美術館ほど混んではいないこともあって、好きな場所だ。ことにオランジュリー美術館は、モネの巨大な「睡蓮」が壁面にひろがる部屋があり、印象深い。
 その「睡蓮」を集めたモネ展の開会式の招待券をいただいたので行ってきた。
 NHK盛岡放送局の村上由利子アナウンサー(先月、文士劇でご一緒したばかりだ)の司会による式典とテープカットの後、鑑賞の時間となった。壁に貼られた「ごあいさつ」の前で律儀に立ち止まる方もいたが、僕はさっさと先へ進む(図録を後で読めばいいのです)。一点一点、子細に観るようなことはしない。そんなことをしていたら、途中で疲れてしまう。おしまいまでざっと観て(やはりどうしても足を長く止める作品があるものだが)、それからまた最初から観て歩く。右を見ても左を見ても「睡蓮」である。その空間にいる限り、パリもニューヨークも東京も盛岡もない。美術館というのはそういう場所でもある。32点の展示作品中、14点を収蔵先の美術館で観ているので、久しぶりの再会だった。

 描かれたものから、その絵が意味するものを読み解いていく学問を図象学(イコノグラフィー)という。たとえば、犬は「従順」をあらわし、髑髏は「死」すなわち「虚無」の象徴であるというように。
 18世紀以前の絵画をオールドマスターというが、このオールドマスターを鑑賞するには図象学(イコノグラフィー)の知識が必要だ(まあ、知らなくても楽しむことはできると思う。でも、知ればもっと面白くなる)。なにしろ、隠されているものが多い絵ほど実は傑作である場合が多い。たとえば、レオナルド・ダ・ヴィンチの『モナリザの微笑』(これは図象学の対象にはならないか)などは隠し事だらけだ。クラシック音楽も同じで、ブラームスのチェロ・ソナタやショスタコーヴィチの弦楽四重奏曲などの傑作は、いわば暗号で書いた手紙、あるいは宝の在り処を示した地図ようなものと言っていい。
 印象派以降の絵画を好んできたのは、印象派とひとくくりにされている作品群がフィットしたからだ。しかも、日本でも割と見る機会に恵まれている。ところがオールドマスターとなると、日本でまとまった数を見ることはまずできない。そのうえ、オールドマスターを楽しむには図象学と旧約聖書の理解が不可欠だ。それでオールドマスターを避けてきた(が、最近、面白く思えてきた。しばしばこういうことがあるもので、たとえば水墨画なんてのは一生縁がないと思ってたのに、四十歳を境にして急に面白くなってきて、あちこちオートバイで出かけていっては楽しんでいる)。
 印象派の絵画は図象学に頼らなくても充分に楽しめる。
 ただ、小説なんてものを書いているせいか、図象学とは逆の興味を覚える。つまり、描かれていないものに目が向いてしまうのだ。「睡蓮」連作の時期のモネは、画家としての成功を収め、莫大な収入に恵まれていた。最新型の自動車も所有していたというが、モネは、その自動車の絵を描いただろうか。機関車がこれからの画家の画題になるだろうと予言し、駅構内の絵を描いたモネであるのに、なぜ自動車を描かなかったのか。そして、ある意味で理想化された庭園内にのみ目を向けたのか。
 もちろん、外出がままならないという年齢的かつ肉体的な事情もあっただろう。でも、それは画家の意欲をそぐ理由としては弱い。なにしろ、視力が衰えて絵を描くことなどできない状態のときに「睡蓮」を描いた人である。
 思うに、画家は自動車など描きたくなかったのである。それは、なぜか。そんなことを考えながら、睡蓮の連作を見た。一見、穏やかな作品群ではあるが、画家の秘めた思いが痛いほど伝わってくるような気がした。でも、ここにはそれを書かない。いつか小説に書きたいと思う。
 モネは没後75年しか経っていない。これからさらに研究が進むことだろう。展覧会場で販売されている図録もひとつの研究成果と言っていい。「睡蓮」の再評価に大きな役割を果たしたグラノフ画廊について、岩手県立美術館の安井裕雄学芸員が詳細かつコンパクトにまとめている。岩手県立美術館が早くもポテンシャルを発揮してきたようで頼もしく感じたのは僕だけではあるまい。

 モネ展は岩手県立美術館、NHK盛岡放送局、NHK東北プランニングが主催する事業なので、テレビやラジオを通しての広報活動が盛んに行なわれている。第11回でアメリカのようすについて触れたが、県立美術館ができたおかげで岩手でも美術を取り巻く環境が大きく変わっていくような気がする。
 ところでNHK総合放送で、モネ展の展示作品を簡単に紹介する番組を夕方にやっていた。内容はさておき、BGMにバロック音楽が流れていて、テレビドラマの忠臣蔵に電線が映ったような違和感を僕は覚えた。モネがバロック音楽を好んでいたというなら頷けるが(不勉強なのでモネがバロック音楽を好んでいたということを僕は知らない)、19世紀末から20世紀初頭の音楽状況を考えると(今と違って同時代の音楽を聴いていた)、BGMにはドビュッシーやラヴェルなどが妥当だと思う。些細なことだが、「細部にこそ神は宿る」(ミース・ファン・デル・ローエ)とも言うではありませんか。