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◆第40回 坂田明シークレット・ライヴ( 30.December.2002)

 以前から不思議に思っていたのだが、岩手には熱心なジャズファンが多く(多いといっても、総人口が総人口ですから、コンサートの集客には苦労しますが)、コンサートに足を運ぶお客さんはとても耳が肥えている。
 だから、岩手で演奏したミュージシャンは「お客さんのレベルが高い」と口をそろえる。聴衆のレベルが高いというのは、聴くべきところはちゃんと聴き、騒ぐときは騒ぐといったメリハリのある聴き方ができることを指して言ってるわけです。じっと聴いていればいいというものではありません。つまり、楽しみ方を心得ている。逆に言うと、岩手では「手を抜けない」ということになる。実際、ジャズ業界でこれは定説になっているそうです。
 これが東京あたりになると、斜めに構えた「通」が、ろくに拍手もしないで聴きいってたりしますからね。いったい何が楽しいのかと傍で見ていても不思議に思う。単にファッションとしてジャズ・コンサートに足を運ぶ人たちも多い。
 岩手のジャズファンがしっかりしているのは、たぶんジャズ喫茶の存在によるところが大きいと思う。大槌クイーン、陸前高田ジョニー、一関のベイシーなどは30年前後のキャリアを持つ。これらはジャズの魅力もさることながら、オーナーの魅力がたくさんの人を引きつけている。それによってジャズファンの幅がひろがり、ひとつの文化と呼ぶにふさわしいものとして育まれてきた。美術家、演劇人、映画人、作家などがジャズ喫茶から巣立っていったのだ。かくいう僕もジャズ喫茶出身の小説家です。
 それはともかく、ジャズ喫茶が中心になってコンサートが企画され、やがて岩手ジャズ愛好会というクラブが誕生し(僕もその会員だ)、ジャズを楽しむ人たちのつながりがさらに深まっていった。岩手のジャズの風土はこうしてつくられてきた(あまりに簡単にまとめすぎたが)。

 ジャズ喫茶は、しかし、時代の流れとともに消えつつある。今、盛岡市内にはジャズ喫茶と呼べるところが何軒あるだろうか。昨年、陸前高田ジョニーが開運橋通りに盛岡支店を出して、我々の度肝を抜いたのは例外中の例外だ。
 僕が20代はじめのころは、盛岡市内にはジャズ喫茶が10軒近くあった。そのうちのひとつ、八幡町と中の橋通りのあいだにあった伴天連茶屋は僕が通った店だった。過去形で書かなければならないのはとても残念なのだが、ここは15年ほど前に店仕舞いをしてしまった。伴天連茶屋は僕の小説に「天竺茶屋」などと名前を変えて、たびたび登場していますが、ま、それだけ僕にとっては思い出深い場所なのです。
 伴天連茶屋は土蔵を改装した店だ(一関のベイシーもそうですね)。土蔵だから音をがんがん鳴らしても近隣の迷惑にならない。ジャズ喫茶にこれほど相応しい建物はない。
 それに、あの分厚い壁の内側に入ることで、世間と隔離するような精神的な効果もある。
 伴天連茶屋の場合は、公演を終えた劇団四季の方たちや来盛したミュージシャン(たとえば、吉田拓郎や内田祐也)が立ち寄る店でもあった。ただジャズを聴くだけではなく、そういう特別な空間でもあったのだ。

 伴天連茶屋は店仕舞いをしたものの、年に数度、ライヴのためにひらく。そんなときは、かつてここに集った仲間たち(と言っても誰も文句は言わないと思う)が顔をそろえる。
 12月21日(土曜日)の夜にも、そんなライヴがあった。一般に告知はせず、かつての仲間たちの口コミだけなのに、伴天連茶屋の二階席はぎっしりと埋まった。
 いつになく開演前からテンションが高まっている。それもそのはず、今回は何と坂田明さんが盛岡の老舗ジャズグループであるJCメモリアルバンド(バックナンバー第5回参照)と共演をするのだ。
 坂田明さんは今春に体調を崩し、そのため東北ツアーが中止になった。その後、順調に回復しライヴ活動を再開されたことはこのコラムのバックナンバー第29回に記した。
 しかし、東北ツアーが中止になったため、盛岡のファンは坂田さんの演奏を耳にしていない。このまま年を越すのは悔しい、というわけで今回のライヴが企画された。伴天連茶屋を通して、JCメモリアルバンドが共演の話を坂田さんに持ちかけたところ、快諾をいただいて夢の共演が実現した。坂田さんは「このライヴは盛岡だけでしか聴けない」とおっしゃった。実際、サックスの2管編成(黒江さんはテナーサックス、坂田さんはアルトサックスとクラリネット)による演奏はとても珍しい(僕は第29回に、これは東京ならではのライヴだと書いたことを思いだしていた)。
 坂田さんはこのライヴのためにオリジナル曲のアレンジを施し、事前にリハーサルを行なうべく来盛するという熱の入れようだった。周到に用意しただけのことはあり、ライヴは白熱かつ充実した内容のものになった。JCメモリアル・バンドのポテンシャルを坂田さんが巧みに引き出し、強力な牽引力でもってバンドをどんどん高みに引いていく。ここにしかない特別の音楽がつくられていくのを僕は目の前で体験することができた。
 JCメモリアル・バンドにとっても、このライヴは貴重な経験となったに違いない。正直、あれだけ凄い演奏ができるとは思っていなかった(ごめんなさい)。この思わぬ収穫も、音楽を愛する喜びを倍増させた。

*岩手ジャズ愛好会のホームページのアドレスです。ご参考まで。http://jomon.com/~ijc/index.htm

◆このごろの斎藤純

〇前回のこのコーナーにボサノヴァがブームらしいと書いたが、友人がサンパウロにギター修行に出かけていて現地の情報を知らせてくる。それで僕もボサノヴァ熱が復活してCDを聴いていたら(昔、よく聴いていたのでCDがたくさんある)、演奏もしたくなった(下手の横好きと言い、これは僕の悪い癖だ)。で、ついにエレガット(ガットギターにマイクを内蔵したもの)を買ってしまった(自分へのクリスマス・プレゼントだ)。
〇肩と肘を壊したのでテニスをやめた。とたんに体が重くなったような感じがする(実際は体重は増えていないのだが)。体を動かしていないと調子が悪い。

『ジョアン・ジルベルトの伝説』を聴きながら