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◆第41回 2002年を振り返って( 14.January.2003)

 盛岡に転居して2年近くが経とうとしている。
 古里であるこの街での生活を大いに楽しんでいるが、不便なところがないでもない。それは、CDショップと書店の品ぞろえだ。CDショップはヒット曲ばかりだし、書店は雑誌とコミック(漫画ですね)ばかり。インターネットのおかげでCDも本も通販で買えるが、本などはやはり手にとって選びたい。CDショップのクラシックならびにジャズ・コーナーは絶望的と言っていい。そんなものは生活に密着したことではないから大した問題ではないだろう、という声が方々から聞こえてきそうだが、僕には音楽も本も生活そのものなんです。だから、困るのだ。
 東京都内の大きな書店やCDショップに入ると一時間くらい、アッという間に過ぎる。そういう楽しみも盛岡にないのはちょっと残念だ。
 でも、盛岡には別の楽しみがある。
 肩と肘を傷めたのでテニスをやめたら、とたんに体が重く感じられるようになった。体重は増えていないので、体脂肪の割合が増えているのだろうか。「散歩がいい」と聞いて、毎日一時間ほど歩くようにしている。
 うちから歩いて5分ほどで中津川に出る。雪の積もった河原を歩いて上流に向かうと、白鳥と鴨が仲良く泳いでいる。そんな光景がごく当たり前にある。川には(いささか季節外れの)遡上してきた鮭の姿もあった。これらはどんなにお金を積んでも得られないものだ。そうやって散歩を楽しんでいると一時間くらい、アッという間にすぎてしまう。CDショップや書店への不満など小さなことにすぎないと思えてくる。

 今回は去年(2002年)を振り返って印象深かったことや、この連載に書き漏らしたことなどを記しておきたい。
 展覧会については、長谷川等伯(バックナンバー第21回)、雪村(バックナンバー第23回)、そして雪舟をまとめて観る機会に恵まれたのは嬉しかった。
 水墨画というと「わび」「さび」を連想するが、雪舟の水墨画にはもっと原初的な力強いものを感じる。幽玄の等伯、前衛の雪村といわれるが、そうすると雪舟は何だろう。水墨画を観ていくうえで、これからのテーマのひとつとしよう。

 コンサートを振り返ってみると、自分でも意外なことに、高いお金を払って聴いた一流演奏家のコンサートよりも、そうではないコンサートが印象に残っている。
 「盛岡発・手作り楽器コンサート」(バックナンバー第18回)と「弦楽合奏団バディヌリ定期公演」(バックナンバー第36回)の音楽は今も耳の奥に鮮明によみがえってくる。政治家の大演説や著名人の講演よりも(それはそれで有意義ではあるが)、旅先で耳にした老人のふとした言葉が心に刻まれることがありますよね。音楽も同じです。
 ももちろん、「渡辺貞夫グループwithンゴマ・マカンバ」(バックナンバー第30回)や「ミルバ《ブエノスアイレスのマリア》」(バックナンバー第25回)のように 超一流の音楽家によるコンサートも忘れられない。この連載には書くことができなかったが、「ウラディミール・アシュケナージ指揮/フィルハーモニア管弦楽団」(11月2日盛岡市民文化ホール大ホール)も素晴らしかった。何が素晴らしいって、あの弦の響き! まるで室内楽の編成のように透明度が高く、それでいて(人数が多いのだから当然だが)たっぷりした量感もある。木管奏者が不調だったのは残念だが、あのストリングス・セクションはそれを充分に補っていた。
 盛岡で暮らしていなければ、フィルハーモニア管弦楽団のコンサートに足を運ぶことはなかったと思う。というのも、僕はもっぱら室内楽を中心に聴いているからだ。盛岡では室内楽のコンサートが少ない。だから、ま、言葉は悪いけれど「他に行きたいコンサートがないから」行ってみたにすぎない。そのコンサートで大きく心を動かされたわけだ。目と耳を常にひらいていることを心がけていれば、こういういいこともあるという見本かもしれない。
 演奏されたチャイコフスキーの交響曲第6番『悲愴』もこのオーケストラとアシュケナージにフィットしていたと思う。この演奏で印象的だったのは、第二ヴァイオリンのトップが、アシュケナージよりもコンサートマスターばかり見ていたことだ。どうやら、アシュケナージの指揮にはわかりにくいところがあって、細かい部分を揃えるときはコンサートマスターが指示をしていたらしい。

 僕は音楽や美術にうつつを抜かしきたので、世事には疎いが、こういう生き方しかできないのだから仕方がない。もちろん、人並みに辛いことや苦しいことも抱えている。けれども、これからもたくさんの素晴らしい演奏会や展覧会に巡り合えると思うと励みになる。
 実際、僕は音楽や絵にどれだけ慰められ、励まされてきたことか。この連載はその恩返しの気持ちを込めて書いています。今年もよろしくお付き合いください。

◆このごろの斎藤純

〇年末年始をのんびりと過ごした。こんなにのんびり過ごしたのは何年ぶりだろうか。本当は片付けなければならない仕事が山積しているのだが、事態が差し迫らないと頭が働かないという悪い癖がある。いや、差し迫っている事態に、あえて気がつかない振りをしている自分が怖い。

ソロ・コンサート/ラルフ・タウナーを聴きながら