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目と耳のライディングバックナンバー

◆第343回 ギャラリーのことなど (11.May.2015)

 仙台の美術関係者から、「盛岡はギャラリーがたくさんあっていいですね」と何度となく言われたことがある。仙台のほうが人口が多いのに、ギャラリーは盛岡より少ないそうだ。
 だからといって、盛岡のほうが芸術文化のレベルが高いという結論にはならない。仙台のように地価(家賃)の高い都市ではギャラリーの経営は難しいだろう。
 採算を考えるとギャラリーは決して割に合うものではない。盛岡でもクリスタル画廊やギャラリーラヴィなどが惜しまれつつ歴史を閉じている。
 ギャラリーだけではない。効率のいいコンビニやコーヒーショップなどのチェーン店に圧され、古くからの喫茶店、電器店、魚屋、八百屋、古書店がどんどん姿を消していった。これらをギャラリーと一緒にすることに首をかしげる方がいらっしゃるかもしれないが、私にとっては八百屋もギャラリーもあまり変わりない。どちらが欠けても私は栄養不良に陥る。
 かつて盛岡は喫茶店と古書店、それに映画館が地方都市としては突出して多かった。これらが急激に減りだしたのは1970年代後半あたりからだと思うが、あまり自信はない。気がついたらなくなっていたというのが実感だ。
 その影響なのか、10数年前から喫茶店に行くことがほとんどなくなった(したがって、喫茶店がなくなっていくことを嘆く資格が今の私にはない)。
 ぽっかり時間が空いたりしたときに私はギャラリーに足を運ぶ(足を運ぶだけであまり作品を買うことはないので、これもまたギャラリーがなくなっていくことを嘆く資格には欠けるわけだが)。美術館とはまた違う雰囲気で楽しめるのがギャラリーのいいところだ。
 盛久ギャラリーはかつての盛久旅館がギャラリーとして生まれ変わった場所だ。ここは民芸運動の柳宗悦が関わっただけあって、いわゆる民芸調のインテリアが素晴らしい。けれども、雰囲気がいいと喜んでばかりはいられない。展示作品はその個性的なインテリアの中で存在感を示さなければならず、それはそれで作家にとってプレッシャーとなる。
 ここで南舘麻美子さんの個展を見た。南舘さんは数々の受賞歴があり、これからの活躍が期待されている版画家だ。つい先ごろ第9回飛騨高山現代木版画ビエンナーレで大賞を受賞した『炎狼と水滴』をはじめ、メディウムはがし刷りという技法によって制作された版画作品と小さな彫刻などが展示されていた。
 南舘さんの作品は、表面上、かわいくて穏やかなので民芸調のインテリアとも喧嘩をしない。もっとも、南舘さんの作品はただそれだけではすまない。何ともいえない「不安」や「陰り」が見え隠れする。
 私の脳裏に深夜の盛久ギャラリーのようすがひろがった。誰もいない真っ暗なギャラリーで、南舘さんの作品に描かれた少女たちの瞳が輝きだす。そんな光景だ。これも、もしかすると盛久ギャラリーならではの雰囲気の賜物なのかもしれない。
 上の橋近くにあるギャラリー彩園子は古い土蔵を改装したギャラリーだ。
 最近、注目している石田貴裕さんの個展『詩を酌む絵画』に行ってきた。石田さんはワイエスを思わせる風景画の達人だ。1988年生まれにしては絵が老成している。
 ところが、石田さんは絵を学んだことがない。社会人になってから独学で身につけられたそうだ(岩手町立石神の丘美術館で『古山拓水彩画展』を開催中の古山さんも社会人になってから独学で絵を学んでいる)。
 この個展では抽象画も展示されていた。宮沢賢治の詩からインスピレーションを受けた作品だという。石田さんの絵からはセザンヌの影響も感じさせる。それを発展させればキュビスムに行きそうなものだが、そうではない。風景画のエッセンスを抽出したような作品で、どこかザオ・ウーキーを連想させる(決して似ているわけではない)。
 ちなみに、ギャラリー彩園子の展示スペースは、一般の美術館と同じで真っ白い壁だ。美術館の白壁は、取り澄ましたような印象を与えがちだが、黒子に徹するためのものなので仕方がない。
 ここでは多くの作家が個展を開いてきた。歴史のある場所だけに、その白壁には「地霊」とでもいうべき何かがしみこんでいる。やはり作家はそれも相手にしなければならず、これもまたなかなか大変なことだと思う。
〈このごろの斎藤純〉
〇今年のゴールデンウィークはツーリングに出かけ、登山と映画を妻と一緒に楽しみ、仕事部屋の大掃除をし、ブルーズのセッションにも参加し、遠来の友と語らうなど充実したものになった。過去の日記を見ると、こんなふうに自由に過ごせたのは2010年以来だ。お天気に恵まれたことも幸いしたが、こと「遊び」となると、ふだんのナマケ癖がまったくなくなるのだから、我ながら呆れるばかりだ。
霧のカレリア:スプートニクスを聴きながら