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目と耳のライディングバックナンバー

◆第371回 映画とジャズとポスターと(11.Jul.2016)

 街で知人に会うたびに「野口久光展には行きましたか?」とか「野口久光展、いいですね」と声をかけられる。岩手県立美術館で開催中(8月21日まで)の『野口久光シネマ・グラフィックス』展のことだ。こういうことは実に珍しい。やはり、映画の街というだけあって、盛岡の人たちは映画に関する催しが気になるのかもしれない。
 では、野口久光と展覧会についてざっとおさらいをしよう。
 戦前、戦後の映画の黄金時代、日本にヨーロッパ映画を中心に配給していた東和商事(のちの東宝東和)に所属し、デザインの第一人者として、約30年間、1000枚以上にのぼる映画ポスターを描き続けたのが、映画、音楽、舞台の評論家としても著名な野口久光(のぐち・ひさみつ、1909-1994)です。野口の映画ポスターは、豊かな表現力で描かれた絵はもちろんのこと、タイトル文字や俳優の名前まで全て手描きで、作品の雰囲気 、内容を的確に表現した「一枚の絵画」としての魅力にあふれています。『大人は判ってくれない』監督のフランソワ・トリュフォーが、野口の手による日本版のポスターを絶賛し、続編の画中にも登場させたという逸話も残っています。映画誕生120年を迎えた今年、海外においても野口の仕事は改めて高く評価されています。
 本展では、野口が手がけた公開当時のポスター、直筆による映画スターのポートレート、書籍・雑誌など装丁デザインのほか、屈指のジャズ評論家としても名を馳せた野口がデザインしたジャズのレコードジャケットや演奏家 (ジャズジャイアント)の肖像など約400点に及ぶ作品・資料のほか、戦前・戦後間もない頃の貴重な映像資料も展示し、野口久光の魅力をたっぷりとご紹介します。コンピュータ・グラフィックが全盛の今日にあっても、なお輝きを失わない野口久光の情感豊かなグラフィックデザインの世界をお楽しみください。(岩手県立美術館公式サイトより)
 この展覧会では映画以外の領域までカバーしていて、とても充実している。いや、充実どころの話ではなくて、正直、目眩がした。それくらい中身が濃い。
 まず映画の仕事から観ていく。1930年代から1940年代半ばのヨーロッパ映画は題名さえ知らない作品が多いが、『商船テナシチー』や『朝やけ』などは興味を惹く。ショパンの伝記映画『別れの曲』(ショパンの練習曲作品10-3はこの映画で使われた後、「別れの曲」という通称で呼ばれるようになった)、シューベルトの伝記映画『未完成交響曲』はテレビで放映されたときに見ている。サン=テグジュペリがオリジナル脚本を書いた『夜の空を行く』は、その存在さえ知らなかった。ぜひ観てみたいものだ。
 1940年代半ば以降になると、馴染みの映画が出てくる。『逢引き』、『旅路の果て』、『オルフェ』--中でも『天井桟敷の人々』は思い出深い映画だ。大学時代にアテネ・フランセ文化センターで上映技師のアルバイトをしているときに初めて観て、この世にこんなに美しく哀しい映画があったのか、とショックを受けたものだ。 1950年以降になると『第三の男』(『第三の男』は私にとって生涯ベスト10に入る映画だ)を筆頭にごく普通に接した映画(もちろん、リバイバル上映だったが)のポスターが並ぶ。ジェラール・フィリップがモジリアーニを演じた『モンパルナスの灯火』、『眼には眼を』は昨今のサスペンス映画が喜劇に見えるほど緊張感漂う映画だ。ジャン・ギャバンがメグレ警視を演じた『殺人鬼に罠をかけろ!』は長いこと観たいと思いつづけながらまだ観ていない。
 という具合にポスターを観ながら映画の中身や名優たちのことが頭の中を行き来する。だから、一枚のポスターの前で立ち止まる時間が長くなる。
 作品に添えられたキャプションが映画のストーリーを短く紹介していて、それがまたとても上手にまとめられているので、どの映画も観たくなってしまう。
 野口久光の手になる映画ポスターには、スチール写真(あるいは映画の中の一場面)を切り取った構図をもとにしたものと映画の内容をイメージで表現したものがある。いずれの場合でも、卓越した表現力による人物画(多くは油彩)を描いていて、ごくまれに写真とのコラージュもある。さらに特筆すべきは、レタリングの素晴らしさだ。すべて手書きの(したがって独創的な)字体を用いている。絵と字の組み合わせによって、その映画の雰囲気が一枚のポスターに凝縮されているわけだ。
 昔の手仕事の時代のほうが今よりもずっといいものを提供していたと改めて感じた。
 通常の野口久光展の展示はここまでの内容だ。今回はさらにジャズ関連の資料も展示されていて、これまた見応えがあった。デューク・エリントンやカウント・ベイシーの写真は、野口久光がジャズ写真家としても一流だったことを如実に物語っている。ジャズを好きな人が撮った写真とそうでない写真は、写真からジャズが聴こえてくるかどうかでわかる。ステージ上のジャズメンを撮っただけでは(あるいは、ポーズをとってもらった写真では)ジャズは聴こえてこない。ジャズメンの一瞬の動き、表情、あるいは「空気感」とか「間(ま)」といったものをジャズが好きな写真家は捉えることができるのだ。
 残念だったのは、買って帰った図録にジャズ資料が収められていなかったことだ。
〈このごろの斎藤純〉
○岩手町立石神の丘美術館で来月から開催する『斎藤純のぶらり北緯40°展』の準備に追われている。私のやるべきことがたくさんあるのだが、遅れに遅れていて、学芸員に迷惑をかけている状態だ。
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