これを書いている時点でまだ戦争は始まっていない(2003年3月9日)。アメリカの暴走を止めることができる勢力があるとは思えないから、時間の問題だろう。アメリカ国内でも批判や疑問の声が多いにもかかわらず、なぜあんなに戦争をやりたがるのか、ボンクラなせいか僕にはよくわからない。
20世紀は戦争の世紀だった。大きな世界大戦が二つあった後、朝鮮、ベトナムでの戦争があり、アフガンや中東や南米でもたくさんの血が流れた。その多くにアメリカは少なからず関わっている。つまり、アメリカの軍隊は世界中で最もたくさんの血を流した。だから、アメリカほど好戦的な国はないと僕は思ってきた。
ところが、ブッシュ大統領は「イラクこそが好戦的な国だ」と主張する(北朝鮮も加えている)。今度の戦争は「大量破壊兵器を持っているイラクにやられる前にやる」という論理らしい(そもそも、世界で一番大量破壊兵器を持っているアメリカが、他国の軍備をどうこう言うのが筋違いだという気もするが)。これに対し、フランスなどは戦争を回避するべきだという姿勢で一貫しているが、日本の政府はなかなかはっきりしなかった。
「アメリカ支持の方針」という記事が朝刊に載った1日、有志による『チョムスキー9.11』の緊急上映会が盛岡市内であった。
ノーム・チョムスキーは言語学者だ。インターネットに出ているプロフィールによると〈1928年、米国ペンシルベニア州フィラデルフィアに生まれる。ペンシルベニア大学で言語学を専攻。1950年代後半以降、生成変形文法理論の成果を次々と発表し、言語学の世界に革命をもたらした。その影響力は隣接諸科学の分野にも及び、哲学、認知科学、心理学、政治学など、広範な学問領域で顕著な業績を上げた。1988年、認知科学分野への貢献により京都賞(基礎科学分野)受賞。現在もマサチューセッツ工科大学教授として研究を続ける〉とある。
僕の友人は「大学で比較言語学をとっていたので、チョムスキーと聞くと懐かしい」と言っていた。だが、僕が知っているのは言語学者としてのチョムスキーではない。
再びインターネットに出ているプロフィールからコピーすると〈チョムスキーは1965年に米国が北ベトナムへの爆撃を開始する以前から、米国の外交政策に対する批判を開始した。その作業は現在に至るまで続いており、とりわけ2001年「9月11日」の同時多発テロ事件以降、中東情勢と米軍のアフガニスタン爆撃に関する発言は世界の大きな注目を集め、インターネット上でもその見解が数多く紹介された〉とある。近著として『アメリカの「人道的」軍事主義---コソボの教訓---』(現代企画室/2002年)、『チョムスキー、世界を語る』(トランスビュー/2002年9月)、『グローバリズムは世界を破壊する』『テロの帝国
アメリカ』(明石書店/2003年)などがあり、一般的にはこういった活動で知られているのではなかろうか。
『チョムスキー9.11』はアメリカ各地で行なわれた講演会からの抜粋とインタビューからなるドキュメンタリーだ。退屈な映画に違いないと思って出かけたのだが、退屈とは無縁の映画だった。「対テロ戦争という言葉は眉つばです。第一の理由は、それが世界で最悪のテロ国家アメリカに率いられているからです」とか、〈9.11〉について冷徹にも「これは歴史的な出来事です。ただし、残虐行為のひどさや性質のためではない(この程度のことは世界中で行なわれていて、決して珍しいことではないとチョムスキーは何度も強調する)。誰が犠牲になったかという意味で、歴史的なのです(つまり、アメリカ本土でアメリカ人が犠牲になった)」などチョムスキーの語る言葉のひとつひとつが刺激に満ちているからだ。
さらにチョムスキーは「誰だってテロをやめさせたいと思っている。簡単なことです。参加するのをやめればいい」と結ぶ。
チョムスキーの冷徹な言葉は、豊富な知識と鋭い知性に裏付けられている。しかし、彼の言葉が我々を引きつけるのは、彼が百年前や二百年前と比べれば今はずっといい、と断言し、「もっとよくなることができる」と確信を持って語っているからだと思う。だから、重い内容なのに、見終えたときに爽やかな印象が残る(環境保護にも、こういう論客がいればいいのに、と思った)。
僕は戦争になど参加したくない。ところが、日本政府がアメリカを支持すると表明すれば、結局は「参加した」ことになってしまう。つまり、アメリカが行なうテロ行為に「強制的に参加させられる」のだ。こういう時代にこういう政府を持ったことに落胆するし、恥ずかしいと思う。
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