トップ > 目と耳のライディング > バックナンバーインデックス > 2003 > 第49回


◆第49回 なんと贅沢な ( 5.may.2003)

 盛岡の隣町、雫石にはサロン・コンサートを主催しているお宅が二軒ある。ひと月のあいだに、とても興味深い二つの演奏会を聴くことができた。
 まずは4月20日にララ・ガーデンで聴いた伊藤奏子さんの演奏会から。
 伊藤奏子さんは宮古市出身で現在はカンザス・シティ交響楽団のコンサートマスター(最近は女性の場合、コンサートミストレスというらしいです)をつとめている。僕はおよそ一年半前に、シベリウスのヴァイオリン協奏曲を県民会館大ホールで聴いているので、それ以来だ。今回はチェロのマーティン・ストーリー、ピアノの渡邉洋子との室内楽である。
 このトリオ、実は家族でして、マーティンさんは伊藤奏子さんの夫、渡邉洋子さんは伊藤奏子さんのお姉さんです。
 では、曲目をご覧ください。

 モーツァルト:ピアノ三重奏曲 ト短調 作品564(トリオ)
 ベートーヴェン:ロマンス第2番 作品50(ヴァイオリン)
 コダーイのヴァイオリンとチェロのための二重奏曲 作品7(ヴァイオリンとチェロ)
 メンデルスゾーン:ピアノ三重奏曲 作品49 第1楽章(トリオ)
 フォーレ:エレジー ハ短調 作品24(チェロ)
 ボッパー:妖精の踊り 作品39(チェロ)
 チャイコフスキー:ワルツ・スケルツォ 作品34(ヴァイオリン)
 ドヴォルザーク:ピアノ三重奏曲 作品90 〈ドゥムキー〉第1、3、6楽章(トリオ)

 というわけで、組み合わせの異なる演奏によって、室内楽のさまざまな響きを楽しむことができた。家族によるトリオも珍しいうえに、こういうプログラムもそうあるものではない。
 家族だから、というわけでもないだろうけれど、とても呼吸の合った演奏だった。あまりぴったり合うと(というよりも合わせることに終始すると)堅苦しい音楽になってしまうし、リラックスしすぎると隙間だらけで間の抜けた音楽になってしまう。この日の演奏は濃密な音楽なのに、聴いていて少しも疲れなかった。
 特に伊藤奏子さんとマーティン・ストーリーさんによるコダーイの二重奏曲に感銘を受けた。僕はコダーイ(ゾルターン・コダーイはバルトークと共にハンガリー民俗音楽を研究した。音楽教育家でもあり、合唱をやっている方ならコダーイ・メソッドで知っているのでは)贔屓で、この曲も大好きなので(あまり演奏されることはないが)嬉しかった。
 フォーレ(この人は女性に大変もてた方で、作品にもそれがあられているように僕は思いますが)のエレジーも好きな曲だ。この曲は美しいメロディを持っているものの、ひとつ間違うと品がなくなるという危険性を秘めている。マーティンさんはイギリスの弦楽演奏の伝統にのっとった品格のある、しかも重苦しくない演奏でまとめていた。また、ボッパーで「曲弾き」も見せたが、これも少しも厭らしくないところがこの人の資質をあらわしている。
 伊藤奏子さんのヴァイオリンは線が太くなった。そのせいなのか、あるいは因果関係が逆なのかもしれないが、演奏に余裕が感じられたし、逞しいとさえ思える瞬間もあった。

 この日はあいにく雨が降っていて、ピアニシモのときに雨が窓や屋根を打つ音が聴こえた。しかし、それはまったく音楽の邪魔にならなかった。むしろ、その場の空気を贅沢なものにしてくれた。
 優れた音楽(演奏)は、雨までも味方につけてしまう。

 なお、伊藤奏子さんらは田園ホールでも演奏会をひらくので紹介しておきます。
 5月11日、田園ホール(矢巾町)で、午後2時からです(開場は1時30分)。チケットは一般2000円、高校生以下が500円。郷土出身の音楽家が、忙しい合間をぬって帰国コンサートをひらいてくれるのは、とても嬉しいし、感謝したい(問い合わせは019−697−5585田園ホールへ)。

 さて、もうひとつは雫石音楽館で聴いた、古楽器によるバロック音楽の演奏会です(4月28日)。
 古楽器というのはちゃんと説明しようとすると一冊の本になる(実際に何冊も専門書が出ている)。ちょっと乱暴にまとめるなら、バロック時代につかわれていたヴァイオリン、チェンバロなどを用い(実際に当時の楽器もあるし、復元した楽器や当時の様式で作った楽器などもある)、当時の奏法で再現することです。聴いた印象は、音がやわらかく、透明感があり、きらびやかというよりはシックだ。料理にたとえていうなら、現代の楽器(モダン楽器といいますが)と奏法による演奏をこってりしたソースのかかったステーキとすると、古楽器の演奏は塩胡椒だけのステーキといった感じ。
 古楽器は弦にナチュラルシープ(羊の腸をよじったもの)を張るので、それも音質の違いになってあらわれる(現代の楽器、たとえば伊藤奏子さんが使っているヴァイオリンには、化学繊維やスチールの弦が張られている)。
 雫石音楽館は古楽器による演奏会を専門にしている。この日はヴィオラ・ダ・ガンバ奏者の第一人者である中野哲也さんと若手チェンバロ奏者の野口詩歩梨さんの素晴らしい演奏を聴くことができた。
 曲目は以下の通り。

 D.オルティス:レセルカーダ 第1、8、5
 B.ストラーチェ:チャコーナ ハ長調(チェンバロ独奏)
 A.ヴィヴァルディ:ソナタ 4番
 M.マレ:組曲 ニ短調
 J.デュフリ:ラ・フォルクレ・メデ(チェンバロ独奏)
 M.マレ 組曲 ニ長調

 まずヴィオラ・ダ・ガンバという楽器について説明しなければなるまい。
 見た目はチェロに似ている。奏法も似ている。が、弦の数や調律、弓の持ち方など細部を見ていくとずいぶん異なる。ヴィオラというのは弦楽器の総称で、ガンバは臑のこと。つまり、臑のあいだにはさんで弾く弦楽器といった意味になる。
 ヴィオラ・ダ・ガンバは時代の流れと共に表舞台から消えた。19世紀はほとんど弾かれなかったのではないだろうか。それが20世紀になって再び脚光を浴びるようになった。
 次にチェンバロのことを少し。ピアノの祖先と思われがちだが、形こそ似ているものの音を出す仕組みが違う。ピアノは弦を叩いて音をだす。チェンバロは弦を弾いて音を出す。チェンバロにも古楽器とモダン楽器があり、雫石音楽館は古楽器を所有している。なお、フランスではクラヴサン、アメリカではハープシコードと呼ぶ。

 さて、ヴィヴァルディとマレ(この人には外科手術を題材にした標題音楽のケッ作がある)の他は初めて聴いた。古楽器の演奏が盛んになることによって、埋もれていた作品に光が当てられるようになった。これも古楽器を聴く楽しみのひとつだ。
 本来は宮廷(当然石造りなので、よく響く)で聴く音楽なので木造建築の室内では真の響きは得られないが、それでも古楽器ならではの透明な響きや繊細なタッチが堪能できた。

 中野さんはヴィオラ・ダ・ガンバの魅力を「スピード感」だとおっしゃる。ああ、なるほどと思いつつ、ベースを連想した。ロックに使われるエレキベースと、ジャズやクラシックに使われるコントラバス(ジャズではウッドベースという)の違いはスピード感なのだとかねがね思っていた。もちろん、後者のほうが圧倒的にスピード感がある。一方、エレキベースは「縦のノリ」を出すには相応しいがスピード感には欠ける。ちなみにコントラバスはヴィオラ・ダ・ガンバの直系の子孫と言っていい。
 話を戻す。
 古楽器の音は繊細で優雅だ、と書いたばかりなので気がひけるが(しかも下手な駄洒落みたいだし)中野さんと野口さんの演奏するバロックは、まるでロックでした。
 スピード感はもちろん、音楽のノリ、和声などがロックなのだ。
 で、思いだしたことがある。
 ロンドンを訪れたとき、ウェストミンスター寺院で大きなミサのリハーサルを見た。パイプオルガンの音が石造りの礼拝堂のなかで渦巻くように響きわたるのを聴いて「これはまるでエマーソン・レイク&パーマー、レッド・ツェッペリン、ディープ・パープルではないか」と驚嘆した。以来、ブリティシュロック独特のディストーション・サウンドは、教会にルーツがあると勝手に思っている。

 また話を戻す(脱線ばかりだ)。
 野口さんのチェンバロを聴いて、僕は初めてこの楽器の美しさを知った。いつもの「食わず嫌い」ではなく、これまではどうもチェンバロの音楽に気持ちが入っていかなかった。野口さんの演奏は、ちょっとコケティッシュな響きがあり(そういう曲だったのかもしれません)、すっかり好きになってしまった。さっそくクープランなどを聴いてみたいと思っている。

 ララ・ガーデンでも雫石音楽館でも「さあ勉強しましょう」などという言葉は決して聞かれない。音楽を一緒に楽しみましょうという集まりなのだ。それでも、演奏会が終わった頃には、音楽を存分に楽しんだうえに音楽史などの知識も得ている。素晴らしいことだと思う。
 ララ・ガーデンや雫石音楽館は僕たちに大きな楽しみを与えてくれるばかりでなく、音楽ファンを育てるという役割も果たしている。このような活動を公共のホールがどれだけやっているだろうか。音楽教育と普及活動が軽視されがちだと識者の多くが指摘しているのに改まらないのは残念だ。

 それはともかく、いつか、古楽器とモダン楽器の聴き比べをしたい。たとえば、ヴィヴァルディの「四季」の「春」、「夏」を古楽器で、「秋」、「冬」をモダン楽器で聴く。二つの楽団を招聘しないとならないのでお金もかかるから、大きなホールでなければ実現できまい。

◆このごろの斎藤純

〇僕が住む若園町界隈は桜が多く、家にいながらにして見ができる。今年は去年に比べて花のつきがよく、とてもきれいだ。桜も毎年たくさん花をつけるのは疲れるのだろう。韓国の人気映画監督チャン・ジン氏がいらしたので(昨年のみちのく国際ミステリー映画祭にもゲストとしてお越しいただいたチャン監督は岩手がお気に入りなのだ)、高松の池でお花見の会を催した。僕が持参したギターでチャン監督は「レット・イット・ビー」を演奏した。
〇井上ひさし氏が新しく会長になった日本ペンクラブの理事に選出された。僕には荷が重すぎので固辞したが、お引き受けすることになった。やるからには、できるかぎりのことをするつもりだ

美しきボサノヴァのミューズ/ナラ・レオンを聴きながら