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◆第50回 韓国からやってきた日本美術の名品 ( 19.may.2003)

●「韓国国立博物館所蔵 日本近代美術展」
東京藝術大学大学美術館 03年4月3日〜5月11日

 美術館(展覧会)巡りをしていると、たまに冷や水を頭から浴びせられることがある。何の予備知識もなく行った「韓国国立中央博物館所蔵 日本近代美術展」がそうだった。

 同展には45点の日本画と25点の工芸作品が展示されている。その展示作品だが、これが実にただごとではないのです。川端玉章、筆谷等観、平福百穂、松林桂月、横山大観、土田麦僊、前田青邨、鏑木清方、伊藤深水、川合玉堂と記憶に残っている名前を並べただけで溜息が出る。しかも、それぞれの作品も粒揃いだ。まるごと海外に持っていけば、「日本的な美を象徴する作品ばかりで、日本美術のダイジェストです」と紹介できるだろう。
 いったい、どうしてこれだけのものが韓国にあり、戦後、非公開とされてきたのか。

 第48回で少し触れたが、第二次世界大戦で日本が負けるまで、韓国では日本による植民地化が進められた。日本語を使うように押しつけたのもそのひとつだ。文化面でも、日本的なものを押しつけた。当然、美術も例外ではなかった。日本の美術が韓国よりも「優れている」とし、それに追随するように強いた。そのプロパガンダのために、日本の優れた美術品を韓国で紹介した。今回展示されているのはそのときの作品群だ。「日本的な美の象徴」と感じるのは、あたりまえだったのだ。
 さらに、それらは韓国の文化を日本化する目的を持って韓国にやってきた美術品だったのだから、戦後に封印されたのも当然のことだった。

 けれども時代は変わる。ワールドカップの日韓合同開催をはじめ、文化面での日韓交流は速く、深く、進んでいる(岩手でも、みちのく国際ミステリー映画祭を通して、日韓映画人の交流が盛んに行なわれている)。
 芸術活動が人間の営みであるからには、歴史と切ってもきれない関係が生じるのは当然のことだ。それは美術に限らない。音楽も同じだ。
 芸術に罪はない、などとは言わない。しかし、権力にしばしば利用されるのも芸術なら、権力に楯突くのも芸術であることを忘れてはならない(パヴロ・カザルスやピカソを、それにソルジェニーツインを思いだしてください)。
 同展は本当に美しい作品が揃っているが、のほほんと絵を眺めるばかりでなく、今回のような機会に改めて歴史について考えても鑑賞の邪魔にはなるまい。

 上記企画展を観た後、平常展の藝大コレクション「日本の洋画 明治・大正・昭和前期」展にまわった。ここで僕は大きな感激を味わった。さほど広くないスペースに、萬鉄五郎、五味清吉、橋本八百二、橋本ハナ、深沢省三と岩手ゆかりの画家の作品が展示されていたのだ。何か誇らしいような気持ちで藝大美術館を後にした。

 ところで、僕は「日本的な美」という表現を用いた。こんにち、「日本的な美」という表現は多分にノスタルジーを含んでいて、あるいは死語となりつつあるような気もする。
 美術史という歴史の観点から同展を振り返ってみると、日本画は戦前でその幕をいったん閉じたのだと思う。今、日本画に求められているのは(誰が求めているのかわからないが)「日本的な美」ではない。もちろん、伝統的な日本画を手がけつづけている画家もいらっしゃるが、明治から昭和初期に至る圧倒的なパワーを持つ作品に出会うことはまずない。画家が時代をつくるのではない。時代が画家をつくるのである。

 パワーといえば、この人を忘れるわけにはいかない。
「生誕百年記念展 棟方志功 −わだばゴッホになる−」(宮城県立美術館 03年4月5日〜6月15日)に行ってきました。これに先立つこと半年前、「生誕百年記念 棟方志功展 日本の棟方から世界のムナカタへ」があった(盛岡市民文化ホール展示ホール)。それが僕にとっては初めての「棟方体験」だったと言っていいと思う。というのも、僕はこれまでに棟方志功をちゃんと観たことがなかった。何度かチャンスはあったはずだが、機会を逸してきた。
 棟方志功の作品は、日本では長く芸術として認められず(認めなかったのは、美術の専門家たちだが)、海外で華々しい活躍をしてもなお変わりなかったという。理由のひとつとして、棟方芸術が早くから大衆に支持されてきたことが挙げられるだろう。この国では大衆的なものは芸術から遠い位置に置かれる。さらに、いわゆるアカデミズムと無縁だったことも(棟方志功にとってはそれが幸いしたのだが)美術界から相手にされない原因となった。大衆の支持に関連して、暖簾やカレンダーなどに盛んに使われたため「工芸」あるいは「民芸」として扱われ、「芸術」の外に置かれたようだ。
 棟方芸術が「民芸」あるいは「工芸」なのか、それとも「芸術」なのか、それは僕にとって、どうでもいい。描かずにはいられない衝動を、棟方志功は絶えず持っていた。僕はそれが凄いと思う。
「天才とは努力しつづけた人のことだ」という言葉がある。棟方志功はまさしくこの言葉どおりの人だったことが作品群を見て伝わってきた。

 今回の展覧会でとても気になる作品と出会った。アメリカで製作したリトグラフがそれだ。図録の解説には「抽象表現主義を思わせる」とあるが、モノトーンのそれらは日本古来の山水画(水墨画)に見えた。
 没骨(もっこつ)という手法で一気呵成に描かれた水墨画を僕は愛している。棟方志功がアメリカで試験的に製作したリトグラフは、その没骨の山水画に通じる精神的な絵画だと思う。

 宮城県立美術館の棟方展は、とても規模の大きなものだった。大きすぎて、宮城県立美術館のスペースでは無理な内容だったという気がする。詰め込みすぎているのだ。僕はもっとゆったりと観たかった。あれでは棟方芸術を軽んじているようにも見受けられる。展示替えを行なうなどして、展示数を減らすべきだったと思う。

◆このごろの斎藤純

〇連休中は真面目に仕事に専念をしたので、息抜きを兼ねて紀州へツーリングに行く。といっても、半部は仕事だ。仕事とプライベートの境界が曖昧なのが、僕の仕事の長所であり短所でもある

J.S.バッハ:オーボエ協奏曲全集を聴きながら