とてもいいジャズ・ライヴが二つあったので二回に分けて報告したい。
まず一つは、〈秋吉敏子ジャズオーケストラ・フィーチャリング・ルー・タバキン〉コンサートだ。これは同オーケストラの30周年を記念したジャパン・ツアーで、企画実施したのは陸前高田ジョニーの照井顕さんだ。
秋吉さんはピアニストとして認められた後、ビッグバンドを率いてバンドリーダー、作・編曲者としても第一人者になった。ジャズの本場アメリカでも30年もつづいているモダン・ジャズのビッグバンドは他にない。
最初から順風満帆だったわけではない。
「黄色人種であるわたしが、向こうのミュージシャンのコピーをして満足していたのですが、渡米後、それではまったく通用しないことを痛切に感じ、道は長いなあと思った。そんな思いを込めて作った曲です。この曲をやらないと秋吉敏子を聴いた気分がしないというファンが多いので、ソロピアノのときも弾くようにしています」と最初の曲『ロング・イエロー・ロード』の紹介があり、コンサートは始まった。
この日はこんなふうに秋吉さん自らが曲の紹介をした。やはり、作曲家自身の言葉を聞いてから演奏を聞くと、音楽に気持ちが深く入っていく。
感銘を受けたのは、三味線や読経などの録音をバックに演奏をミックスしていく手法だ。秋吉さんはメロディメーカーであるうえに、アレンジのセンスが抜群であることでも知られているが、その才能がそういう形でも結実している。
また、ソロイストの一人一人が強烈な個性の持ち主で、これをまとめあげるバンドリーダーとしての秋吉さんの手腕も大変なものだと思った。
「戦争はとにかくいけない。これは反米でも反日でもない。武器をつくっている人が儲けるだけ。破壊以外のなにものでもない」と、広島市からの委嘱作品『ヒロシマ』という組曲から「ホープ」を紹介したときは口調がいちだんと強まった。
陸前高田ジョニーに捧げた「ジョニー」が最後に演奏されて、コンサートは終わった。照井さんと秋吉敏子さんはあつい友情で結ばれていて、近年秋吉さんが取り組んで好評を得ているソロピアノによるコンサートも、もともとは照井さんの提案によるものだった
このコンサートは岩手県公会堂(盛岡市内丸)で行われた。音響はよくないに違いないと決めてかかって行ったのだが、生の音がとてもよく聞こえるので驚いた。ポンコツ・ホールなどと侮ってはいけないと戒められた。
昭和2年にオープンした同公会堂は老朽化が進んで保存問題が話し合われている。日比谷公会堂よりも古いこのホール(設計者は同じ)は貴重な文化遺産だ。単に保存するのではなく、利用できるように改装することができれば理想的なのだが。
僕は高校のころにキャロルのコンサートをここで観ている(ステージに駆け上がって、えーちゃんの横でツイストを踊ったのは恥ずかしい記憶だ)。FM岩手に勤めていたころ、小比類巻かおるさんの公開録音もここで行なった。そういう意味でも思い出深い場所だ。
次回は「辛島文雄トリオ+原朋直」の熱いライヴについて報告する予定です。
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