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◆第53回 夏の終わりのジャズ祭( 8.september.2003)

 冷夏だった。十年ぶりの冷害で、米も不作だという。農家にとっては気の毒な状況だ。こんなとき、我々は自然からの恩恵で生きていることを実感させられる。
 消費者の立場からすると、米不足にはならないと聞いているので一応は安心だ。過去の教訓を生かして、充分な備蓄量があるそうだから、輸入するほどの米不足にはならないらしい。

  十年前の冷害で思いだすのは輸入米騒動だ。戦後の食料危機を経験したであろう高齢者が「タイ米なんか、まずくて食えるか」と声を荒らげた光景を目にしたときは呆れた。いい大人がこれじゃあ子供たちが食べ物を粗末にするようになるのも無理はないと思った。いつの世でも、子供は大人の鏡だ。

  沿岸も「やませ」に悩まされたと聞いている。海水浴客も少なく、夏の観光収入が激減した。
 こんな暗いニュースを吹き飛ばす爽快なイベントがあった。陸中鮭の国・ジャズフェスティバル2003(8月31日/ グリーンピア田老パシフィックアリーナ)である。まずは出演者をごらんください(出演順)。

◆THE PURE
本田竹広(ピアノ)、吉岡大典(ベース)、橋本信二、宮崎健(ギター)、今出宏(ヴォーカル&ブルースハープ)、森田修史(テナーサックス)、後藤 篤(トロンボーン)、ダミオン、谷山 明人、小澤敏也(パーカッション)、グレース(ドラムス)、鈴木みち子(ヴォーカル)
◆本田竹広トリオ
本田竹広(ピアノ)、鈴木良雄(ベース)、村上寛(ドラムス)
宇川彩子(タップダンス)
◆峰厚介クインテット
峰厚介(テナーサックス)、福村博(トロンボーン)、橋本信二(ギター)、鈴木良雄(ベース)、村上寛(ドラムス)
◆ケイコ・リー
ケイコ・リー(ヴォーカル)、本田竹広(ピアノ)、峰厚介(テナーサックス)、鈴木良雄(ベース)、村上寛(ドラムス)
◆山下洋輔ピアノ・ソロ
◆山下洋輔、本田竹広ピアノ・デュオ&宇川彩子
◆THE PURE&オールスターズ・セッション

 何とも豪華な顔ぶれだ。これだけのミュージシャンが一堂に会するジャズのイベントは首都圏でもそうはないだろう。
  これはNPO法人宮古市芸術文化協会50周年の記念イベントで、地元宮古市出身のジャズピアニスト本田竹広さんがプロデュースをつとめてくださった(宮古では昨年も本田竹広さんが中心になって、第1回宮古ジャズフェスティバルを開催している。トランペッターの日野晧正さんとの共演という、これまた豪華なものだったが、僕は残念ながら別の用があって行けなかった)。改めて言うまでもないが、本田さんがいるからこそ、これだけのミュージシャンが揃うのだ。宮古は恵まれている。羨ましい。そういえば、ヴァイオリニストの伊藤奏子(カンザスシティオーケストラのコンサートミストレスに就任。室内楽の活動も行なっている)さんも宮古出身だ。

  20年以上、ジャズを聴いてきた方なら上記のメンバーを見て、ネイティヴ・サンを思いだすだろう。1970年代後半から80年代半ばにかけて一世を風靡したフュージョン・バンドだ。峰厚介、村上寛、福村博がそのメンバーだった。
 峰厚介は音量やフレージングもさることながら、何というのか「音の質」がまるで違う。峰厚介が一音吹くだけで、ステージの空気がキーンと締まるのを感じた。

  ユニークだったのはタップダンスの宇川彩子だ。タップダンスは、音楽に合わせて踵や爪先を鳴らすものと思っていたが、宇川さんは違う。音楽の流れを読んで、むしろ演奏をリードする場面もある。ものすごいアンティシペーションの持ち主だ。細い体に似合わずタフで、それに笑顔がいい。本田さんもよほど気にいっているようで、共演が多い。

  ケイコ・リーは何度か聴いているが、本田竹広さんとの共演を聴くのは初めてだ。峰厚介、鈴木良雄、村上寛らベテランをバックに、気持ちよさそうに歌った。ピアノの弾き語り(彼女はもともとはピアニストだった)で松任谷由実の『卒業写真』(英語バージョン)を歌ったのには驚いた。はじめは何の曲がわからなかった。聴いたことのある曲だけど、思いだせない。で、思いだして「こんな名曲だったのか」と改めて感じ入った。それにしても、本当に彼女は素晴らしい。ケイコ・リーこそはジャズを歌うために生まれてきたミューズ(芸術の女神)と言い切っていい。

  本田さんと山下洋輔とのデュオは、この日、最大の聴きものだった。超絶技巧の持ち主である山下洋輔とピアノで丁々発止やりあうのだから当然だ。
 本田さんは脳梗塞で二度倒れている。6年前に左半身が動かなくなったときは再起不能と思われた。
 入院していた病院にピアノがあった。リハビリをかねて、本田さんはそれを弾きはじめる。もちろん、ジャズなんか弾けない。本田さんは動かない指を叩いて神経を目覚めさせた。童謡をポツンポツンと弾くことからはじまった。入院患者から拍手が送られた。医師は「奇跡だ」と言ったとか。そして、今がある。
 まさに不屈の精神でもって、本田さんは現役に復帰した。復帰どころか、「前よりもよくなっている」と評する人もいるくらいだ。 もともと本田さんはスケールの大きい感覚の持ち主だ。ネイティヴ・サン時代、アフリカに傾斜したのも頷ける。おそらく三陸の海を見て育ったことが、あのスケール感の源点ではないかと僕は勝手に思っている。そのスケール感がさらに大きさを増した。大病からの奇跡の復活が、本田さんの音楽にも反映しているのだろう。

  最後は祭に相応しいジャムセッションが繰り広げられた。ジャズフェスティバルならではの楽しみだ。観客も大いに楽しんだが、一番楽しんだのはステージの上のミュージシャンたちだったように思う。

  主催者にはいろいろなご苦労があったことだろう。1,000名近い入場者があったことは特筆に価する。暗いニュースの多かった夏の終わりに爽やかなプレゼントをいただいた。感謝したい。

◆このごろの斎藤純

〇一身上の都合で二カ月ばかり休載していました。今回から再開しますので、またよろしくお願いします。

ノート・マヌーシュを聴きながら