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◆第70回 水墨画を観て考えたこと・その4 ( 3.may.2004)

 今年に入ってから、〈没後80年最後の文人 富岡鉄斎 −富士山から蓬莱山へ展〉(出光美術館 1月10日〜3月7日)、〈南禅寺展〉(東京国立博物館平成館 1月20日〜2月29日)、〈池大雅 洞庭赤壁図巻きへの道展〉(ニューオータニ美術館 3月13日〜4月11日)で水墨画を観る機会があった。

 鉄斎といえば、萬鉄五郎が痛烈に批判した文章が残っている。鉄斎は確かに人格者かもしれないが、画業のほうは巷間騒がれているほどのものではなく、墨の扱い方(これが水墨画では肝心なのだが)もよくないと萬は書いている。
 なぜ萬が鉄斎をこんなに批判するのか、僕はわからなかった。萬も水墨画を残しているが、鉄斎の作品に比べると、明らかに萬が劣っているように感じたからだ(きっと誰が観てもそう思うだろう)。 しかし、「劣っている」という見方は僕の誤りだったのではないかと今は思う。

 もともと萬は南画を習得した後、油絵に進み、日本でいち早くフォーヴィズムを実践し、独自の世界を築いた。その萬は水墨画でも独自の世界を築こうとしたが、志半ばで逝ってしまう。つまり、萬は伝統的な水墨画を描こうとすれば描けた。でも、それは自分の芸術ではないので描かなかった。
 一方、「自分は画家ではない。文人だ」という姿勢を通した鉄斎は、伝統的な水墨画を頑固に描いた。日本画家が「画面に文字の入ったものは絵ではない」という西洋画の影響を受けて、画賛を入れない水墨画を描いていた当時、それは時代後れの行為でもあった。そんな鉄斎に対して萬は「せっかくの才能を無駄にせず、もっと新しいことに挑戦してほしい」と檄を飛ばしたのではないか。
 鉄斎の迫力ある筆致を目の当たりにしながら、僕はそんなことを思った。

 〈南禅寺展〉では伝徽宗「秋景・冬景山水図」(国宝)や長谷川等伯「宗祖師図 天授庵方丈障壁画」(重要文化財)などを、〈池大雅展〉では展覧会のタイトルにもなっている「洞庭赤壁図巻き」(重要文化財)はもちろんだが、「山水図屏風」や「嵐峡谷泛査図屏風」という品格と創造性に富んだ作品を観ることができて嬉しかった( ことに品格という点で池大雅は抜きんでている)。

 それにしても、なぜ僕は水墨画に惹かれるのか(絵に限らず、僕は好きになったものについて、「どうして好きになったのか」と自問しないではいられないタチなんですね)。
 ひとつは、シンプルなものへの憧れがあると思う。なにしろ、水墨画は墨(と水)だけで描くのだから。それでいて、無限のひろがりと奥行きを表現している。これはギター1本でオーケストラみたいな音楽を奏でるギター音楽への興味とも一致する。

 水墨画の山水図(風景画)には、墨が滲んだだけのようなものがある。けれども、我々素人の目でも、それを風景画と認識できる。おそらく、外国人が観てもわかるのではないか。これこそ、水墨画の持つ普遍性の一端かと思う。これと関連して、水墨画は現代性も感じさせる。というのも、ターナーやセザンヌの水彩画を水墨画は先取りしているからだ。

 こういう見方は美術史的には間違っているに違いない。でも、美学的には大きな間違いではないと思う。池大雅の擁護者は、その作品を最初に観る栄光を得てはいるが、大雅をセザンヌと並べて鑑賞することはできなかった(僕だって実際に池大雅とセザンヌを並べて観ているわけではないのですが)。それに、ウォークマンでバルトークを聴きながら鑑賞することも不可能だった。今、僕たちはそれが許される時代を生きている。なんと贅沢なことか。

◆このごろの斎藤純

〇今年、桜は花のつき具合が今ひとつだった。ブナは3〜5年周期で豊作を繰り返すが、やはり桜も毎年いっぱい花をつけるわけではなさそうだ。花がたくさん咲いているほうがいいと思うのは人間の都合でって、桜にとってはその必要な年に必要なだけ花を咲かせればいいわけだ。
〇桜が散りはじめた4月末、雪が降った。この時期の積雪を僕は初めて経験した(盛岡では11年前にも降ったそうだが、僕は川崎市宮前区に住んでいた)。
〇辛島文雄のピアノ、井上陽介のベース、奥平真吾のドラスムによるピアノ・トリオのコンサートがある。いい演奏を生で聴くと、創造力も生命力も刺激を受ける。ぜひ、足をお運びください。
5月25日(火)盛岡市おでってホールで午後7時開演です。前売4000円で発売中。高校生以下1000円(当日のみ)。問い合わせは辛島さんを呼ぶ会019-604-5521(ヨシダ)へ。

ALINA(アルヴォ・ペルト室内楽作品集)を聴きながら