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◆第76回 可憐なリュートの響き ( 26.july.2004)

ルネサンス時代のリュート音楽   演奏 遠藤幸恵(ルネサンスリュート)
2004年7月18日 午後3時開演 しずくいし音楽館

 珍しいリュートの演奏会があった。
 リュートというのは、琵琶に似た弦楽器で、復弦(2本ずつ張る)4コース(つまり、8本)からルネサンスリュートの標準6コース、バロックリュートで13コースと時代を下るごとに弦が増えていった。遠藤幸恵さんのは6コースのルネサンスリュートだ。遠藤さんは伊藤隆先生(盛岡)のもとでクラシックギターを習い、その後、水戸茂雄氏に師事してリュートを学んだ。リュートを弾こうと思ったのはいいが、楽器を手に入れるのにも苦労したという。

 リュートは独奏にも伴奏にも適し、チェンバロよりも手軽なことと、チェンバロよりもニュアンスに富んだ音楽表現が可能だったので16、7世紀に大流行した(もちろん、貴族のあいだで)。「楽器の王様」と呼ばれたが、やがてピアノが登場すると王の座から滑り落ちていった。
 最近の古楽ブームがリュートを再び表舞台に引き上げ、この楽器ならではの(ギターとは違う)繊細で可憐な響きが人気を博しつつある。
 リュートの曲はギター用に編曲され、多くのクラシックギタリストによって演奏されているため、ギターの先祖と思われがちだが、学者はリュートとギターは別の系統の楽器に分類している。

 ま、こういう専門的なことは抜きにして、まずはこの日の演奏曲目をご覧ください。

〈第1部〉
P.アテニャン(フランス/1494?-1551)
@ 花咲く日々
A バスダンス〈ラ・マグダレナ〜ルクープ〜トゥルディヨン〉

A.ル・ロア(フランス/1520?-1598)
B バッサメッツォ

J.ダウランド(イギリス/1563-1626)
C ウィロビー卿の帰郷
D もしある日
E 男一人・女一人
F ジョン・スミス卿のアルメイン
G くつ屋の女房
H ダウランド氏の真夜中
I わたしのバルバラ

〈第2部〉
古き良き時代のはやり歌(作者不詳)
J サリーガーデン
K スカボロフェア
L グリーンスリーヴス

作者不詳
M バッキントン氏のパウンド
N ロビン

J.ダウランド
O プレリュード
P 涙のパヴァーン
Q 蛙のガリアルド
R さあ、もう一度
S タヒルトンの復活

 たくさんの曲が並んだが、1分少々から3分程度の短い曲ばかりだ。クラシックは長いから苦手、と思っている方もこの時代の音楽なら楽しめるのではないだろうか(旋律も覚えやすいし)。それにしても、「サリーガーデン」、「スカボロフェア」、「グリーンスリーヴス」が16世紀ごろからすでに歌われていたとは。

 曲によって、遠藤さんのお子さんたち(卓人くんと愛恵ちゃん。卓人=タクト・指揮棒という意味かと推測)、遠藤さんの友人のカレン・ピーダーソンさんがリコーダー(縦笛)で参加し、この日の演奏会をさらに印象深いものにした。
 なお、司会と曲の解説、詩の朗読は阿部文子さんがつとめた。曲や作曲家について詳しいことは会場で配られたパンフレットに記してあり、これも親切な配慮だと思った。

 リュートは弦の数が多いから弾くのが大変そうだ。遠藤さんのお話しでは、弦を弾く際の右手の指の使い方がギターとは違うそうで、これも勉強になった。
 それと、ルネサンス時代のリュート曲は、ロマン派以降のギター曲と違い、一定のテンポで低音の伴奏部と高音の旋律部を弾きつづけていなければならないので、これもなかなか大変なのではないかと素人ながら想像した。ロマン派以降のギター曲は、リュート曲よりずっと高度なテクニックを要するが、けっこう適当に休めるものだ。

 ところが聴こえてくる音楽はそんな大変さを微塵も感じさせず、遠藤さんの人柄もあって、可憐な響きで我々を引きつけた。世の中が今よりずっと静かだったし、宮廷の一室で演奏された楽器なので、リュートの音量は小さい。集まった人たちは、一音も聴き逃すまいと耳を傾けていたが、そこにロマン派以降のクラシック音楽を聴くときのような緊張感はなく、穏やかな時間が流れるばかりだった。

 ちょっと脱線しますが、岩手県の「がんばらない宣言」は、地元の人々には受けが悪かったが、他県ならびに海外の国々には受けた。
 これは、がんばることが悪いと言っているのではない。ただ、がんばっているうちにいったい何のためにがんばっているのかわからなくなり、「がんばることはいいことだ、だからがんばろう。がんばれ。がんばらねば」という悪しきガンバリズムが蔓延していたのは事実だ。「がんばらない宣言」はそれに対するアンチテーゼだ。
 いわゆる先進国(アメリカを除く。あの国は精神の先進性を失って久しい)はスローな生活を求める傾向にある。古楽の流行がこの傾向と合致しているのは偶然ではない。
 リュートなどの古楽は、いわゆるスローな生活にフィットする音楽だと思った。

 リュートのレパートリーは(なにしろ200年近くも流行しただけあって)無尽蔵にあるという。演奏されたり、CD化されているのは、そのごく一部にすぎない。今後、たくさんのリュート音楽が再発見され、遠藤さんらの手によってその魅力が紹介されていくことだろう。リュートが再び脚光を浴びる日はそう遠くないような気がする。
 リュート独特の楽譜の話も面白いのだが、それはいずれまた。

 遠藤さんは交通事故などのため楽器も弾けない状態がつづいた。そんな遠藤さんに、しずくいし音楽館の園田のり子代表は演奏会をひらくように持ちかけて説得した。これはあくまでも想像にすぎないが、「閉じこもってないで、あなたには音楽があるんだから、音楽を通じて克服しなさい」と励ましたのではないか。遠藤さんはみごとにそれに応えた(ここのところは 、ま、小説家の悪い癖だと思って読みとばしてください)。

 しずくいし音楽館では、確か一昨年にもリュートとテオルボ(2メートルはありそうな低音用のリュート。一見、グロテスクだが、音は素晴らしい)の演奏会があった。僕が初めて生でリュートを聴いたのはそのときだった。以来、僕はリュート(とテオルボ)の魅力に目覚めた。
 音楽は何でもそうかもしれないが、やはり生で聴かないと本当のところはわからない。そういう意味でもしずくいし音楽館に僕は感謝している。

◆このごろの斎藤純

〇この連載の第58回で紹介した「窓際のセロ弾きのゴーシュ」が、第二回盛岡市民演劇賞(盛岡市文化振興事業団主催)が選ばれた。スタッフ、キャストのみなさん、おめでとうございます。
〇夕方になると聴こえてくる「さんさ踊り」の練習の音が熱を帯びてきた。この音に包まれた盛岡の街が僕は好きだ。
〇ようやく梅雨明けの青空がひろがった。今週はツーリング専門誌〈アウトライダー〉の取材で、福島方面に向かうことにしていたのでタイミングがよかった。

アストル・ピアソラ・ライヴ・イン・トーキョー1982を聴きながら