トップ > 目と耳のライディング > バックナンバーインデックス > 2004 > 第85回


◆第85回 色彩の音楽−マティス展を観る (29.November.2004)

○マティス展 国立西洋美術館(04年9月10日-12月12日)

 僕はアンリ・マティス(1869-1954)とデュフィ(バックナンバー第6回をご参照ください)で、絵を観る楽しみを知った。そして、マティスとデュフィをパリやニューヨークの美術館で観てまわっているうちに印象派に惹かれ、まるで美術史をさかのぼるように19世紀とそれ以前の美術に興味がひろがっていった(ちなみに、音楽も現代音楽からバロックにさかのぼって聴くようになったのです)。

 鮮やかな色彩が飛び撥ねているマティスの絵は、明るい音楽の旋律を想わせる。マティス自身は「他の芸術からは影響を受けていない」と語っているものの、『ジャズ』のように音楽を主題にした作品も少なくなく、やはり音楽を愛していたのは確かだ。
 マティス同様、デュフィの色彩も鮮やかだ。「目で観る音楽」と言っていいほど音楽に接近した作品を残したデュフィとの共通点は他にもある。それは「空白」の扱い方だ。
 デュフィとマティスの作品には、塗り残しみたいな空白があったり、色の下から下書きの線が見える部分あったりして、「これって、未完成なんじゃないの」と思ってしまうことがある。この空白が音楽を感じさせる要素の重要なひとつになっている。音楽では空白と呼ばず、「間」といいますね。
 次に二人に共通するのは「描線」だ。勢いというか、流れがある。リズムカルと言い換えてもいい。仔細な観察に基づく大胆な省略は、音楽における即興演奏を連想させる。

 こう言っては問題があるかもしれませんが、デュフィもマティスも「ヘタウマ」の絵なんですね。でも、その「ヘタウマ」に到達するまで、どれだけ研鑽したことか。
 展示作品の横に付けられた制作過程を写真で見ると「こうしたほうがいいかな、いや、やっぱりこっちのほうがいいかな」という具合にずいぶん手を入れていることがわかる。
 また、今回の展覧会では観ることはできないが、マティスは若い頃にシャルダンやヘームなどオールドマスターの模写を描いている(それで収入を得ていた)。それを観れば大変な技量の持ち主であることに異論を挟む余地はない。
 マティスとて「一日にして成らず」なんですね。

 僕は立体作品にあまり興味がないので、これまでマティスの彫刻は見逃してきたのだが、今回改めて観ることができた。タブロー(油絵)では平面的な描き方をするのに(肉感的な女性像もあるが)、彫刻は逆に過剰なほどのボリューム感が与えられている。対照的で面白かった。

 僕が行った日は平日だったにもかかわらず、とても混んでいた。やっぱり人気があるんですね、マティス。そして、観ている人たちがみなさん笑みを浮かべている。これは大変なことです。マティスの底力を知ったように思った。
 マティスは人気があるのに、どうしてマティスと同時代の音楽(現代音楽やジャズ)はあまり人気がないのかと以前から疑問に思っていたのだが、音楽の現代作品には「明るさ」が欠けている。深刻すぎると言いなおしてもいい。少なくとも、マティス展でお目にかかれたような笑顔は、現代音楽のコンサートではあまり出会えない。

 さて、120点ほどの展示作品のうち、半分近くは所蔵先(ポンピドゥーセンター・国立近代美術館やフィラデルフィア美術館)を訪ねた際に観ているので、それらとは十数年振りに再会を果たしたことになる。ただ、今回の展覧会にはニューヨーク近代美術館やメトロポリタン美術館に所蔵されている作品が入っていないのがちょっと寂しかった(って、そんな贅沢を言ってもしようがないか)。

◆このごろの斎藤純

〇恒例の文士劇の稽古で毎晩大変な思いをしている。お客さんに喜んでもらうために苦労するという点では小説を書くことと同じなのだが。
〇リンドバーグ(東京)でのサイン会にたくさんの方にお越しいただきました。そのなかには、この連載を通して僕を知ってくださった方もいました。ありがとうございました。これからもよろしくお願いします。

モートン・フェルドマン/コプトの光を聴きながら