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◆第96回 必見の好企画(2.may.2005)

 県内の小規模美術館3館による共同企画『いわて近代洋画 100年展』がはじまった。これは今年、僕が最も期待していた企画のひとつである。チラシから概要を転載します。

 〈長沼守敬、萬鉄五郎、堀江尚志、橋本八百二、松本竣介、舟越保武----、北の大地・岩手は、東北はもとより全国的にも、個性的、先駆的な美術家を多く輩出してきた特異な地方といえます。今日も、盛岡を中心に、多くの美術家が育ち、活動を展開しております。また、たとえこの地を遠く離れ、活動していたとしても、岩手とのかかわりを濃厚に保ちながら制作している美術家少なくないのも特徴のひとつです。
 今回、萬鉄五郎記念美術館(東和町)、もりおか啄木・賢治青春館(盛岡市)、石神の丘美術館(岩手町)の3館は、「いわて近代洋画100年展』を企画しました。明治にはいり西欧文化の受容に始まった日本の近代化は、美術においても例外ではありませんでした。岩手の近代化100年を、洋画の世界から見直そうとするのが今回の企画です。
 日本近代洋画を代表する、萬鉄五郎や松本竣介もさることながら、彼らを支え、育んだ土壌をつくりあげ、岩手の洋画史をかたちづくった、さまざまな画家たちの痕跡を拾い集め、岩手の洋画史をたどってみたいと思います。〉

 チラシにあるとおり、日本の近代美術を語るとき、岩手出身の芸術家が果たした役割はとても大きい。あるとき、東京竹橋の国立近代美術館で同じフロアに松本竣介、萬鉄五郎、橋本八百二が展示されているのを見て、足が震えたのを今でも憶えている。同じフロアに同郷の画家の作品が並ぶなんてことは極めて稀なことだ。
 あのときから、僕のなかに「東北のモダニズム」という視点が芽生えたような気がする。

 さて、今回は本展覧会のうち、もりおか啄木・賢治青春館で開催中の「躍動と戦争(昭和前記)」展に行った。
 昭和初期から第二次世界大戦をはさんだ昭和20年代までのあいだに描かれた作品の展示だ。僕が興味を持っているのは明治期の洋画と日本画なんですが、戦争絵画と呼ばれるジャンルも少しずつ調べている。
 戦争絵画といえば、藤田嗣治が有名でしょうか。パリから引き上げてきた藤田嗣治は軍部が主催した展覧会に出品するため、戦争絵画をたくさん描いたが、戦後に「戦争協力者」呼ばわりされて日本を離れ、とうとうフランスに帰化し、レオナルド藤田としてかの地で没した。ここで問題なのは、藤田を戦争協力者として糾弾したのは、占領国ではなく、同胞(あるいは同業者といってもいい)たちだったことだ。一方、戦争協力者として占領軍から実際に何らかの処分を受けた画家は一人もいない。

 戦争絵画は敗戦と共にアメリカ軍に没収され、戦後しばらくして返却された。それらは国立近代美術館に収められたものの、我々の目に触れることはあまりない。画家自身あるいは画家の遺族が公開を拒んでいる場合が多いからだ。

 橋本八百二や白石隆一は戦争絵画の大家だった。橋本八百二は旧橋本八百二美術館に、手元に残っていた戦争絵画を堂々と展示していた。「どれも自分の画業であり、画家としての道程であることは否定できない」と考えていたという(ちなみに、戦後は民家を描きつづけた向井潤吉も戦争絵画で名を成した画家で、橋本八百二と親しかった)。

 本展覧会では白石隆一の「騎兵隊と戦車隊の共同作戦」を見ることができる。橋本八百二は戦争絵画ではなく、「おふくろ」(代表作の一枚といっていい)と「岩手山」が展示されている。「岩手山」は小品ながら、八百二の別の一面を伝える作品だと思う。八百二が得意とした題材だが、こんなふうにじっくりと繊細に描かれた岩手山は初めて観た。
 制作時期は昭和20年ころとある。岩手山の残雪のようすから見て、初夏だろう。終戦間近である。戦争絵画を精力的に描いていた八百二が、何を思って郷里の山と向き合ったのか。「岩手山」の前で僕の足は長く止まったままだった。

 松本竣介の「忠彌先生像」と澤田哲郎の「忠彌像」が並んでいる。その高橋忠彌の「人間復活」は僕の知らない忠彌の世界を見せてくれる。
 竣介は「塔のある風景」という秀作も展示されていて、澤田哲郎の「焼き芋屋」と見くらべるのも面白いだろう。深澤省三・紅子夫妻の作品も仲良く展示されている。

 関係者や学芸員の意気込みと熱意が痛いほど伝わってくる好企画であり、他の2館も楽しみだ(いずれ、報告したいと思っています)。幸い開催期間も長い(7月3日まで)ので、ぜひお出かけください。
 ふるさとの文化を見直す、いいきっかけにもなると思います。  

◆このごろの斎藤純

〇相変わらず花粉症の日々です。ひどいときは鼻をかんでばかりいるせいか、頭がぼうっとして何にもできません。
〇小説が全然はかどらず、そのせいで読みたい本、読まなければならない本も手つかずの状態。いやはや。

ラヴェル:弦楽四重奏曲へ長調/アルバン・ベルク四重奏団を聴きながら