| ◆第101回 初夏の響き(11.july.2005) |
Poor Peaple's
Paper 第3回定期公演
ヴァリエーションズ
〜七月の変奏曲〜
2005年7月3日(日)盛岡市民文化ホール・小ホール 午後6時開演 |
盛岡在住の作曲家・ピアニスト長谷川恭一さんが中心になって、長谷川さんのオリジナル曲他を演奏する定期公演が3回めを迎えた。じめじめした梅雨を忘れさせる爽やかなコンサートだった。
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[第1部]
@パッヘルベル:カノン ニ長調 〜三つのヴァイオリンと通奏低音のための〜
Aモーツァルト:ヴァイオリン・ソナタ 第29番 イ長調 K.305 I.Alleglo di molto
II.Theme(Andante grazioso) and 6 Variations
Bシューベルト/ピアノ五重奏曲 イ長調 D.667「ます」より
IV.Theme(Andante) and 5 Variations
C長谷川恭一:チェロとピアノのための小品集“花信II”
I.プロローグ/白い家
II.美しい響き
III.海の音が...
IV.ラブレター
[第2部]
DJ.S.バッハ:無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ 第2番 ニ短調より
V.Chaconne
E長谷川恭一:弦楽五重奏のための組曲“ノスタルジア”
I.ノスタルジア
II.ワルツ
III.ほたる・こい
IV.火星の夢
V.エチュード
[アンコール]
アントニオ・カルロス・ジョビン:イパネマの娘
マックス・スタイナー:夏の日の恋
ヴァイオリン:山口あうい(@ A D)、米倉久美(@ B E)、馬場雅美(@ E)
チェロ:三浦祥子
ヴィオラ:佐藤芳行
コントラバス:八木一弘
ピアノ:長谷川恭一
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ヴァリエーションズとは、つまり変奏曲のことだ。これを簡潔に象徴する@をはじめ、聴き応えのある曲がいっぱいのコンサートだった。
また選曲は、初夏をイメージしたという。確かにBなどは中津川のせせらぎを想わせる爽やかな旋律の曲だ。これが「ます(鱒)」と呼ばれるのは、同名の歌曲にこの曲の主旋律が用いられたからだ。
Dは一般に「シャコンヌ」として知られている、ヴァイオリン独奏の有名曲だ。多くのヴァイオリニストがこの曲を何度も録音しているのはそれだけ挑戦のし甲斐があるからだろう(逆に、避けて通るヴァイオリニストもいる)。たった一本のヴァイオリンで、複雑な和音を響かせなければならない難曲だが、そういう技術的な部分もさることながら、深い精神性も併せ持っているので手強いんですね。
パンフレットに長谷川さんが「今回この難曲を演奏することについて熟考の末に了解してくださったヴァイオリンの山口あういさんには、感謝の念とともに心より拍手を送りたい」との言葉を寄せている。
僕もまったく同じ思いだ。
あういさんは合理的かつ怜悧なタイプの演奏家だ。そんなあういさんらしく、辛口で弾ききった。もっと俗っぽく弾いてもいいのではないかとも思うが、やはり「譲れない一線」というものがあるのだろう。しかし、ただ辛口なだけではなく、この曲特有の哀切(若くして亡くなった最初の妻へのレクイエムだという説がある)が表現されていた。大泣きに泣くのではなく、唇を噛みしめて悲しみに耐える演奏だった。バッハへの深い思いがなければ、ああは弾けまい。
それと、右肘の柔らかさ(ボーイングをコントロールする要です)に目を奪われた。まるで関節がないかのようにフレキシブルなのだ。小さいころからの鍛練の賜物なのだろう。
長谷川さんのオリジナル曲CとDは「ロマンチスト長谷川恭一の世界」をたっぷりと味わわせてくれた。あういさんとはタイプの違う米倉久美さんのヴァイオリンも曲にマッチしていた。
長谷川さんの作品の分析(って、そんなに大袈裟なものではないのですが)は第68回をご覧ください。今回はそれぞれの曲間の長谷川恭一さんによる短いレクチャー(たとえば、「クラシック音楽は主題があり、その主題が次々と変化をしていく構造になっています。その変化を変奏、すなわちヴァリエーションズといいます」など)があり、これも面白かった。
選曲のこだわりはアンコールにもあらわれていた。どちらも大好きな曲なので、思いがけないプレゼントをもらったような気がして嬉しかった。
ところで、Cは浅田次郎氏の同名作品の朗読劇のための作品をチェロ用に書き直したものだ。その朗読劇に出演された大塚富夫さん(岩手放送)が客席にいらしていた。
コンサート後、「長谷川さんの曲もいいし、演奏も素晴らしい。こんな演奏会ができる盛岡は凄いところだ。でも、残念なことに、盛岡の人は盛岡で活動している人を軽視しがちだ。盛岡にいるというだけで『大したことがない』と先入観というか偏見を持ってしまう。こういう風潮をなくしていきたいものだね」とおっしゃっていた。
まったく同感である。地方に住む人々が目を醒まさないうちは本当の意味での「地方の時代」は来ない。 |
| ◆このごろの斎藤純 |
〇天野滋さんが亡くなられた。初めてお目にかかったのは私が岩手放送ラジオでアルバイトをしていた高校生のころだった。その後、FM岩手ディレクター時代にもお仕事をご一緒させていただいたし、お酒も2、3度飲んだことがあっただろうか。淡いお付き合いだが、共通の「師」の下でつながっている仲だった。あまりに早すぎる。無念でならないが、言うまい。天国で「師」と賑やかに酒を酌み交わしていることだろう。
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| シャコンヌ/セゴビアを聴きながら |
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