今年は敗戦60周年、原爆投下60周年にあたる。マスメディアだけではなく、各地で、さまざまな形で、戦争の記憶を風化させないための取り組みが行なわれている。
井上ひさし原作の『父と暮せば』が全国各地で上演されている(映画化されて話題になったし、海外でも上演されている)。私は盛岡のNPOサポートセンター風のスタジオで観た(7月31日午後1時30分と午後6時、8月1日午後7時の3回公演のうちの最終日)。演出は藤原正教。
舞台は原爆投下3年後の広島。図書館に勤め、地元に残る民話の収集と語り聞かせの活動もしている福吉美津江(永井志穂)は、父や友人を原爆で失い、「なぜ、自分が生き残ってしまったのか」と心に深い傷を負っている(原爆の後遺症も負っているのだが)。
独り暮らし美津江のところに父竹造(及川司)の幽霊があらわれるようになったのは、美津江の心に芽生えた「恋」のせいだった。相手は原爆の研究をしている大学助手(岩手出身という設定)。
この芝居で井上ひさし氏は「悲惨な事実を風化させず、後世に伝えていくことが私たちの義務」だと訴えている。あまりにも当然のことで、言い古されているような印象を受けるかもしれないが、私も薄々と危機感を持っている。なぜなら、「日本がアメリカと戦争をした」ことを知らない人が増えているからだ。
これは「経験していない」という意味ではなく、文字通り「知らない」のである。学校でちゃんと教えないなら、お芝居で、音楽で、小説で、美術で、あらゆる手段であの戦争のことや原爆のことを伝えていかなければならない。
全編、広島弁で演じられた(方言指導は金沢万里)。はじめのうちこそ、「慣れない方言でセリフを覚えるのは大変だったろうなあ」などと思ったが、すぐにそんな雑念は消え去り、芝居に引き寄せられた。
「風のスタジオ」の客席は、静かなすすり泣きに包まれた。戦争をしない、戦争を忘れない、戦争を語り継ぐという思いがひしひしと伝わってきた。
永井さんの、胸に重く、そして熱いものを秘めた美津江役がみごとだった。飄々とした父役の及川さんは、軽快な出足から圧倒的な説得力を要する結末まで大熱演だった。その存在感は観るものの心に深く刻みこまれたことだろう。
中学生や高校生にこの芝居に見てもらいたいと思った。あるいは、実際に演じてみるのもいいだろう。
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