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◆第107回 小澤征爾氏をプリウスに乗せて・後編(3.october.2005)

ロストロポーヴィチ&小澤征爾〈コンサート・キャラバン2005〉
2005年8月14日〜20日

 前回にひきつづいてコンサート・キャラバン2005について記します。

 今回のキャラバンの演奏曲目は、サン-サーンス(小澤征爾氏はフランス式にサン-サーンと発音されていた)の〈チェロ協奏曲第1番イ短調Op.33〉(20分ほどと比較的短い曲にチェロ・コンチェルトのエッセンスが凝縮されていて、この後にあらわれるドヴォルザークやエルガーに少なからず影響を及ぼした。3楽章形式だが、通して演奏される)、ハイドンの〈チェロ協奏曲第1番ハ長調〉(1960年代に発見された。演奏の難易度が高いことで知られる)、アレンスキーの〈チャイコフスキーの主題による変奏曲Op.35a〉、それにアンコール用にチャイコフスキーの劇音楽〈雪娘〉より「メロドラマ」を用意していた(時間の関係もあり、アンコールに応じた会場は少なかった)。

 このうち、〈チャイコフスキーの主題による変奏曲Op.35a〉はスラヴァが楽譜を持ってきたもので、オーケストラのメンバーにとっては初めて演奏する曲だった。作曲者のアレンスキー(1861-1906)はリムスキー-コルサコフの弟子だったが、作風はチャイコフスキーの影響が大きい。モスクワ音楽院で教鞭もとり、ラフマニノフが弟子の一人だ。
 このOp.35aはチャイコフスキーの〈16の子供のための歌Op.54〉がもとになっている。各パートの動きに特徴があり(弦楽四重奏のように楽器同士の会話がある)、聴かせどころがピアニシモなので、とても繊細な響きが要求される曲だ。リハーサル中、スラヴァの指導はその繊細な響きを出すことに集中した。なかなかうまくいかず、何度も止められる。
 近所の方が子連れで見学にいらしているのを見つけたスラヴァは、その小さな子を呼び寄せ、オーケストラのメンバーに言った。
 「この子に聴かせるつもりで弾いてごらん」
 このアドバイスで演奏がガラリと変わった。

 キャラバンの最初から最後までサポートスタッフとして同行された寺崎巌さん(弦楽合奏団バディヌリを主宰。田園フィルハーモニーオーケストラなどで指揮活動もされている。ヴァイオリニスト)も、その場にいた一人で「あのときは涙が出ました」とおっしゃる。
 オーケストラが持っているポテンシャルをどうやって引き出すか、指揮者スラヴァを知る場面だった。

 サポートスタッフには盛岡シティブラスの指揮者で、高校生たちの指導にも熱心な中台雅之さんの姿もあった。寺崎さんも中台さんもキャラバンのボランティアスタッフとして寝食を共にしながら、二人のマエストロや若手のオーケストラから熱心に学びとろうとされていた。
 「演奏を止めて指示を出した後、数秒たりとも時間を無駄にしないで、すぐに演奏を開始しますよね。大変な集中力です」
 密度の濃いリハーサルに中台さんも引きこまれていた。

 私もボランティアスタッフの一員として半分以上の日程を同行したのだが、両マエストロを乗せて移動することになるとは思ってもみなかった。あまり緊張しないタイプなのだが、このときはハンドルを握る手が(暑さのせいではなく)汗ばんで滑りそうになった。
 お二人ともプリウスに興味を示し、ハイブリットカーの話で盛り上がった。ポーズではなく、本当に気さくだ。いつもにこやかで、誰にも話しかけ、サインを求められても厭な顔ひとつしない。
 ところが練習のときはひじょうに厳しい。声を荒らげるようなことはないが、静かな気迫をみなぎらせるのだ。もちろん、ボランティアのコンサートだからといって手抜きなどしない。彼らにとって音楽は毎日が真剣勝負の場だ。

 スラヴァは言う。
 「私は世界中の政治家や企業家に会った。彼らとは通訳を介さないと話ができなかった。でも、音楽は通訳がいらない。我々音楽家は音楽を通して、美、平和、愛を世界の人々に伝えなければいけない。音楽にはそれができる」
 めったに生演奏を聴くことのできない山村で無料コンサートをひらいて歩くコンサート・キャラバンはスラヴァが語った信条にもとづくものだ。

 音楽で「愛・平和・美」を人々の心に伝えるということは、言葉で言うほど容易なものではない。その証拠にオーケストラは、小澤氏が「今日はもうおしまい」と言った後でも自主的に残って練習をつづけた。
 その小澤氏も暇さえあれば楽譜とにらめっこをしている。もう何度もやっている曲であるにもかかわらず。
 スラヴァも同じで、会場になるべく早く着きたいといつもおっしゃっていた。一人、練習をするためである。一度など小澤氏が出発に少し遅れただけなのに、「早く練習したいから、置いて行こう」と先に車を出させたほどだ。
 「あれだけ弾けるのに、まだ練習するの?」
 私が半ば呆れて呟くと、
 「いつも練習しているから、あれだけ弾けるんです」
 寺崎さんが笑いながら言った。

 コンサート・キャラバンは各地で大きな感動と深い余韻を残したが、なかでも吉里吉里小学校体育館でのコンサートは印象的だった。おそらく、ほとんどの方がクラシックの生演奏を聴くのは初めてのことだろう。テレビから流れてくる音楽と違い、ピアニシモは全身を耳にしなければ聞こえないし、フェルテシモはものすごい迫力で鳴り響く(が、決してうるさくはない。これが肝心な点だ)。
 暑いなか、大人や学生たちはもちろん、汗を流しながら幼稚園くらいの子供たちも目をキラキラさせて聞きいり、会場と演奏家が一体になった。
 終演後、心のこもった拍手にオーケストラのメンバーが満面の笑みで応えた。その笑顔に涙が流れているのを見て、私までもらい泣きをしてしまった。

 音楽は奇跡のような時間を生む。
 コンサート・キャラバンは今回もそのことを示して終わった。

◆このごろの斎藤純

〇ツーリング専門誌アウトライダーの取材のため、知床半島に行ってきた。北海道は寒いだろうと思い、防寒装備で行ったのだが、盛岡よりも暖かかった。
〇知床は世界自然遺産に指定された影響で、どこもかしこも大変な人出だった。

ブゾーニ:ピアノ作品集を聴きながら