トップ > 目と耳のライディング > バックナンバーインデックス > 2006 > 第119回


◆第119回 朗読を聴く(20.march.2006)

第75回もりげき八時の芝居小屋 八時の芝居小屋製作委員会プロデュース
なんだりかんだり読みがたり vol.12
朗読「二十九歳」 作/内海隆一郎 演出/大塚富夫
盛岡劇場タウンホール 2006年3月8日 夜8時開演

出演:大塚富夫、吉田瑞穂、奥村奈歩美 (ここまで岩手放送)、竹内サトシ(彩青社)。

プログラム 第1話 「パーティー・ドレス」
第2話 「年下の恋人」
第3話 「眠れない夜」
第4話 「小さなボーイフレンド」
第5話 「旅立ち」

 盛岡は演劇が盛んで演劇ファンも多いことで知られているが、朗読ファンも少なくない。先月、ぼくの短編を読む朗読会があり、さくさんの方にお集まりいただいたが、その大半が(斎藤純のファンというよりも)朗読のファンだった。
 その流れをつくってきたのが、大塚さんや吉田瑞穂さんたちだ。お二人はIBCラジオの『ラジオ文庫』で内海隆一郎作品の朗読を1999年からつづけてこられ、全国規模の賞も受賞されている。年齢は若いが、スペシャリストといっていい。

 朗読を聴いたことがないという人は少ないと思う。ぼくは小・中学校の授業で朗読をやらされたが、俳優やアナウンサーによる朗読をラジオやCD(あるいはカセット)で聴いたことがある人もいるだろう。
 舞台朗読(あるいは朗読会ともいう)はそのライヴ版で、演劇的な要素も加味される。音読と朗読の違いについて大塚さんがパンフレットに〈一言で言えば「思いを伝える」のが朗読ではあるまいか〉と書いていらっしゃる。実はそれが難しい。ただ読めばいいというものではないのだ。
 芝居では役者はセリフを覚えなければならないのに対し、朗読は本を見て読む。だから、簡単そうな印象を受けるが、芝居とは異なる難しさがある。

 ぼくの短編の朗読会にも大塚さんに出ていただき、また、舞台朗読は初めてという出演者(アナウンサー)の指導もお願いした。その指導を見ていて、原稿を上手に読めば、いい朗読になるわけではないということを知った(ぼくには「作者は上手に読めなくてもいいんだよ」とあまり指導してくれなかったが)。

 それはさておき、朗読で聴くと、本で読んだときとは違った世界が見える。内容は同じなのにこれは不思議だ。読書には想像力が不可欠だが(したがって、本を読まずにテレビばかりみていると想像力が欠落していく) 、その想像力の働き方がどうやら異なるようだ。

 さて、プログラムの5本の短編はそれぞれ異なる主人公(29歳という年齢だけが共通している)の独立したストーリーではあるが、5つの楽章を持つ室内楽といった趣を味わうことができた(ただし、第1話と第2話は似たような雰囲気だったので、ぼくだったら第2話を一番最後にもっていく)。吉田瑞穂さんは20代最後の女性の心理を、過剰にならず、しっとりと表現していた。それに、何ともいえない色香(失礼ながら、ふだんの彼女を若干知っているので意外だった)でもって、観客の男たちをうっとりさせた。

 大塚さんと吉田さん、竹内さんが上手なのは当然といえば当然なので、ここでは触れない。奥村さんの朗読をぼくは昨年夏の『戦没農民兵士の手紙』(NPOいわてアートサポートセンター)で聴いて、とても感心したが、さらに進歩したようだ。同年令の役柄もさることながら、第5話での母親役では顔つきまで変わり、まるで別人のように見えて驚いた。

 BGMが使われていたが、ほとんど記憶に残っていない。逆説めくが、出しゃばらない程度に(効果的に)使われていたということなのだろう。音楽の力につい頼ってしまいそうになるが、それを避けた演出に自信と矜持を感じた。

◆このごろの斎藤純

〇車のタイヤを夏用に換えた(まだ早かったか)。長い冬だったという印象が強いが、春になってから大雪にみまわれた去年よりも、春の到来が早いような気がする。
〇冬が終わって、今度は花粉症の季節だ。5月までつらい時期がつづく。

ボッケリーニ:ギター五重奏曲を聴きながら