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◆第124回 画家ジャン・コクトー(29.may.2006)

サヴァリン・ワンダーマン・コレクション
『ジャン・コクトー展』
岩手県立美術館 2006年4月8日-5月21日

 ぼくたちとその上の世代にとって、ジャン・コクトーとボリス・ヴィアンはいっとき「必ずハマる」存在だったように思う。どちらもどこか異端の香りを持ちつつ、こんにちでも充分に通用する輝きを放っている。そして、どちらもスタンダード(あるいは古典)となっている。

 コクトーといえば、映画ファンなら『オルフェ』や『美女と野獣』などを思い浮かべるだろうし、文学好きは堀口大學の名訳で知られる〈わたしの耳は貝の殻 海の響きをなつかしむ〉を呟き、あるいは『恐るべき子供たち』(これは映画にもなった)を代表作として挙げるかもしれない。
 このようにコクトーの創作範囲は、詩、小説、批評、戯曲、バレエ台本、シナリオライター、映画監督などに及ぶ。その多彩ぶりをして「オーケストラ人間」と呼ばれたそうだが、同時に多くの誤解を生み、いわれのない批判にもさらされた。どうやら、この種の天才が経験することは、いつの時代でも変わりない。けれども、(当時は必ずしも正当に理解されなかったかもしれないが)そのいずれもが色褪せることなく、こうして後世に残っている。いや、むしろ後世に改めて評価されなおし、その名はますます高まっていると言っていい。

 いくつもの芸術ジャンルで活躍したコクトーだから、取り巻く人々も実に多彩だった。セルゲイ・ギィアギレフ、イゴール・ストラヴィンスキー、パブロ・ピカソ、ダリウス・ミヨーらフランス「六人組」の作曲家たち(六人組と名づけたのがコクトーだった)、エリック・サティ、ココ・シャネル、マルセル・プルースト、ギョーム・アポリネール、レーモン・ラディゲ、トーマス・マン、ジャン・マレー……こう列挙するだけで目眩がしてくる。コクトーもさることながら、コクトーが生きた時代が眩しすぎるのだ。

 コクトーの業績のうち、迂闊にもぼくは美術のそれを軽視していたことに、今回の展覧会で気づかされた。コクトーの絵は、彼自身の本の他、2001年にBunkamura・ザ・ミュージアム(東京都渋谷)でひらかれた『ジャン・コクトー展 〜美しい男たち〜』(これは大人向きの展覧会だったが)でも目にしているが、それだけでは不充分だったのだ。
 コクトーの絵は「バレエのための」とか「本のための」とか「恋人(その多くは男性である)のための」ものと思いこんでいたが、そうではなかった。コクトーは絵そのものにもちゃんと取り組んでいたのだ。
 逆説めくが、もしコクトーが美術だけを専門にしていたら、その名はもっと高まっていただろう。いや、こんなことを言ったら、、当時、コクトーを認めなかった人々と同類になってしまう。

 コクトー自身、晩年近くに「私のただひとつの望みは、今なお発見されるかもしれないということである」と記している。少なくとも本展覧会をご覧になった方は、コクトーを再発見したのではないだろうか。関連シネマ上映会(『恐るべき子供たち』、『美女と野獣』、『詩人の血』、『悲恋』、『オルフェ』)にもたくさんの観客がつめかけたという。
 これは、モダンな岩手県立美術館に相応しい好企画だった。

◆このごろの斎藤純

〇気がついたら、ウェストがとうとう81センチになっていた。20数年間、78〜79センチをキープしてきたのに。体脂肪とやらも気になる。一日パソコンに向かって(ろくに仕事もしないくせに)坐りっぱなしの生活を続けてきたのだから、当然の結果だ。よし、自転車に乗ろう。
〇岩手県立美術館と岩手めんこいテレビ主催の『斎藤純と解きあかすダ・ヴィンチ・コードの謎』(5月14日)にたくさんのご応募とご来場ありがとうございました。競争率2.5倍だったそうで、外れた方はすみませんでした。

ザ・ケルン・コンサート/キース・ジャレットを聴きながら