ぼくは絵を観ることは好きだが、ちゃんと勉強してこなかったので、美術史の常識的なことが欠落していたりする。
たとえば、本展覧会でぼくは「フランドル絵画」が「ベルギー美術」であることを知った。フランドル絵画は、ぼんやりとオランダかなあ、などと思っていたのだ。お恥ずかしい。
それはそれとして、ベルギー美術にぼくは親しみを感じてきた。ぼくに絵を観ることの楽しみを教えてくれたのが、ベルギーのマグリットであり、デルヴォーだったからだ(それに、マティス、デュフィ、ピカソ)。
やがて、印象派に惹かれ、バルビゾン派も観るようになった。さらに時代をさかのぼって、オールドマスターと呼ばれる18世紀以前の巨匠の作品を積極的に観るようになったのは、ここ5、6年のことだ。理由は特にない。ぼくは美術に限らず、音楽でもそうなのだが、劇的な理由によって何かが変わった(あるいは、何かを得た)という経験をしたことがないのだ。
ベルギーが誇るベルギー王立美術館は、ルーベンス、ヴァン・ダイク、ヨルダーンスなどの素晴らしいコレクションでも知られている。そして、今回の展覧会ではそれらが惜しげなく日本に運ばれてきた。
それどころか、ベルギー王立美術館のいわば「顔」の役割を担ってきた〈イカロスの墜落〉までもが展示されている。
ただし、本展覧会では(図録でも)この作品の作者は「ピーテル・ブリューゲル[父](?)」と表記されている。ピーテル・ブリューゲルは16世紀ネーデルランドの最も偉大な画家だが、その作品数は40数点しか現存していない。そして、これまでその代表作として扱われてきた〈イカロスの墜落〉は、10数年前から「真筆ではないのでは」と疑問が呈され、いまだに結論を得ていない。
この問題について詳述するスペースも知識もないのだけれど、発売中の芸術新潮10月号の森洋子(明治大学教授)の記事を読むかぎりでは、真筆ではなく、とうやら同時代のコピーらしい。もともとベルギー王立美術館は今世紀初頭にこの作品を「コピー」と鑑定したうえで購入している。後に「真筆」とされたのだが、最初の鑑定に戻ることになりそうだ。
真贋はともかく、フランドル美術を中心に実に見応えのある展覧会だった。
なお、フランク・ブラングィン版画展が同時開催されていた。ブラングィンは松方正義が絵画を購入する際のアドバイザーだった(かなりの目利きだったわけだ)から、国立西洋美術館にはゆかりのある画家だ。
ブラングィンの油彩画を松方は大量に買い込んでいたが、それを保管していた倉庫が火災にあったため焼失している。ブラングィンが正しく評価されないのは作品が失われたためだが、本展覧会で力量を知ることができた。 |