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◆第135回 緒形拳ひとり舞台『白野』を観る(30.october.2006)

宝くじ文化公演「緒形拳ひとり舞台『白野』」
2006年10月25日(水)午後7時開演 盛岡劇場メインホール

 「シラノ・ド・ベルジュラック」を知らなくても、大鼻の醜男シラノが暗闇で手紙を読む場面はご存じの方が多いだろう。これは、かの名作の日本版舞台だ。以下、パンフレットから一部転載する。

エドモンド・ロスタンの名作「シラノ・ド・ベルジュラック」を、幕末から明治中期までの日本を舞台に一人芝居の形式で翻案した「白野弁十郎」は、新国劇の創立者である沢田正二郎により1926年(大正15年)に初演されました。
その後、沢田の弟子である島田正吾が上演を重ね、1992年にはパリで上演、フランス芸術勲章シュバリエ章を受賞するなど、96歳まで現役俳優であった島田正吾の代表作のひとつでした。その作品を、緒形拳が受け継ぎます。

今日では数少ない銀幕のスター≠フ名称が相応しい俳優の一人である緒形拳。
近年ではSTUDIOコクーン・プロジェクト「ゴドーを待ちながら」(串田和美演出)や下北沢本多劇場で上演された「子供騙し」(水谷龍二作・演出)など、小さな空間で上演される舞台にも意欲的に出演し、圧倒的な存在感、軽妙な芝居で舞台俳優としての魅力を存分に発揮しています。

 緒形拳の抑えた演技が印象的だった。声を張り上げたいところ、あるいはパッと大見得を切りたいところを、さらりと流す。セリフも動きも必要最小限の表現で、最大限の効果を上げていた。なにしろ、たった一人で複数の人物を演じるのだから、ひとり舞台そのものが「最小限の舞台」だ。ミニマムをマキシムに追求した舞台、といったら言葉遊びが過ぎるだろうか。

 舞台下手にずっと控えているチェロが、視覚的にも効果的だった。芝居のトーンにも緒形拳さんの声にもチェロの音色がとても合っていた。その音楽も控え目で、ぼくには少し物足りなかったが、音楽が目立っては逆効果なわけで、たぶんあれでいいのだろう。
 全体的に淡々と舞台が進み、アクの強さがない。しかし、密度は濃い。

 以上が緒形拳自身の内側からにじみ出てくるものなのか、それこそ「銀幕のスター」ならではの演技なのか。もちろん、観客にとってそんなことは問題ではない。
 舞台上手から「緒形拳」が登場し、舞台下手に「白野弁十郎」が去るまでのおよそ1時間40分のあいだ、ぼくは緒形ワールドに気持ちよく浸った。

 ひとことで言うと、清水のせせらぎのようなお芝居だった。あまりに自然すぎて、それが今では貴重なものであることさえ忘れさせるという意味でも。

[スタッフ]
原作:エドモンド・ロスタン「シラノ・ド・ベルジュラック」
演出:鈴木勝秀
音楽:朝比奈尚行
訳:楠山正雄 / 辰野隆
翻案:額田六福 / 澤田正二郎
構成:島田正吾
美術:二村周作
照明:倉本泰史
音響:井上正弘
舞台監督:眞野純

楽師:ウォルター・ロバーツ(チェロ独奏)

なお、本公演は「宝くじ文化公演」の助成を受け、他のホールの半額の料金設定となっていた。そのため、「2500円で緒形拳を見られるなら」と演劇ファン以外の客層も目立ったように思う。こういう試みによって、演劇ファンがひろがることを期待したい。

◆このごろの斎藤純

〇窓から見える近郊の山々も色づいてきた。今年の紅葉は去年よりきれいなような気がする。
〇田園室内合奏団「メサイア公演」(11月26)、盛岡文士劇(12月2日、3日)と、ぼくが出演するイベントが続く。どちらも練習が大変なので、時間のやりくりが大変だ( 本当は「メサイア」一本だけにしたかったのだが、そうもいかない)。

ラビリンス/スティングを聴きながら