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◆第136回 青木十良チェロ・リサイタル(13.november.2006)

青木十良チェロ・リサイタル 2006年10月24日
盛岡市民文化ホール 小ホール

 91歳、現役チェリストとしては世界最高齢といわれている青木十良さんのチェロ・リサイタルと、翌々日に行われた放送大学特別教養講座(放送大学岩手学習センター=岩手大学図書館4階)に行ってきた。

 戦前、国際的に活躍した指揮者近衛秀麿の評伝を読んだばかりだ。秀麿は第二次大戦中の内閣総理大臣近衛文麿の弟で、ベルリン・フィルで指揮をするなど欧米各国で活躍した。また、日本最初のプロのオーケストラ新交響楽団(日本交響楽を経て、NHK交響楽団となる)を自費で結成している。ほぼ同じ時期に活躍した指揮者・作曲家に山田耕筰がいる。青木さんはこの偉大な二人の音楽家と共に演奏活動をされている。
 青木さんが所属していた当時の新交響楽団には斎藤秀推(チェリスト、指揮者。弟子に小澤征爾がいる)や黒柳守綱(黒柳徹子の父、ヴァイオリニスト)もいた。

 こういったきらびやかな経歴だけで、ぼくなどは目眩がしてくる。青木さんの業績を振り返ると(残念ながらクラシックの音楽家は対象にならないそうだが)、間違いなく人間国宝に値する。
 では、プログラムをご覧ください。


第1部
[1]バッハ:無伴奏チェロ組曲第5番

第2部
[2]ショパン:チェロ・ソナタ
[3]フォーレ:夢のあとに
[4]ファリャ:火祭りの踊り

アンコール
鳥の歌(カタルニア民謡、カザルス編)
[2]からラルゴ

 いわゆる「枯淡の演奏」を想像していたのだが、まったく違っていた。こんなに予想外だったことも珍しい。もちろん、いい意味でのことだ。
 なにしろ、音が瑞々しく、音楽が初々しい。いろいろな意味で「演奏することの喜び」がまっさきに感じられる。もっと言うならば、誰よりもまずご本人が音楽を楽しんでおられる。「何もかも楽しくてしようがない」という思いが伝わってくる。
 そして、活力というのか、勢いがある。CDなどの録音で聴けば、とても若い方の演奏だと思うに違いない。

 この日、ぼくはこれまでで初めての経験をした。水野紀子(青木さんの長女、ピアニスト)さんとの共演による第2部で、溢れてくる涙を抑えることができなくなってしまった。
 別に悲しかったわけではない。青木さん親娘の息の合った演奏は、聴いているこちらも楽しい気分にさせてくれる。
 それでも涙が出てくるのだ。

 理由を考えていて、ジャズ喫茶一関ベイシーの菅原正二マスターの言葉を思いだした。
 「ジャンルに限らず、楽器というものは名手が演奏すると、悲しい響きがするものだよ」
 青木さんのチェロの音色が、ぼくの涙の理由だったわけだ。

 もちろん、お使いになっているステファノ・スカランペラ/プレシア1912という名器が持つ音色でもあるのだろう。だが、弦楽器ほど演奏者その人を如実にあらわす楽器もほかにない。
 澄みきった青空を眺めていて、思いがけず涙が流れてくることがある。青木さんのチェロは、ぼくにとって青空のようなものだった。

 公開講座は岩手大学名誉教授の成田浩氏、早坂啓造氏との鼎談という形でおこなわれ、とても充実した内容だった。
 青木さんは今でも毎日6時間も8時間も練習をされているそうだ。
  「だから、死ぬことはちっとも怖くない。死ねばもう練習から解放されるわけですから」
 さらに「80歳を過ぎてからのほうが上達のスピードが速くなった」ともおっしゃる。
 そういう姿勢が、あの瑞々しく、初々しい音楽をつくるのだろう。ただただ頭が下がる。
 「フーゴー・ベッカー(数多くのチェリストを育てた名チェリスト。ヴァイオリンのイザイ、ピアノのブゾーニと組んだトリオが有名)の録音を聴いて、カザルスとは異なるバッハに目覚めた」とか「バッハの無伴奏チェロ組曲はチェロの高度な教科書。改訂などしないで、アンナ・マグダーレアーナ・バッハ(バッハ夫人)の写譜のまま弾けば、実に理に適った譜面であることがわかる」など刺激的で、印象深いお話をたっぷりうかがうことができた。
 が、なにしろひとつの話題から四方八方にふくらんでいくので、2時間でも足りなかった。

 最近、ぼくは青木さんの演奏を聴くように、人生の大先輩が書かれた本も読みはじめている。子供が「世界の未来」なら、人生の諸先輩は「ぼくの未来」だということに気がついたからだ。

◆このごろの斎藤純

○パソコンを換え(98からXPに)、ISDN(!)から光通信に換えた。設定などで数日時間を食われたが、快適なパソコン環境になった。それで仕事が捗るかというと、大いに疑問だが。

前回と同じくラビリンス/スティングを聴きながら