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◆第137回 ボサノヴァの神様(27.november.2006)

ジョアン・ジルベルト日本公演 2006年11月9日
東京国際フォーラム Aホール

 3年前、ジョアン・ジルベルトの初来日が決まったとき、「本当に来てくれるだろうか」と不安に思った人は少なくないに違いない。もちろん、ジョアンはちゃんと日本に来てくれたし、「奇跡」ともいえるような濃密な時間を過ごさせてもくれた。そのときのことは本連載の第54回に書いた。

 その後、このときのプライベートな録音をもとにライヴ盤が発売された。それほど、いいコンサートだったわけだ。

 2年前、ジョアンは2度めの来日コンサートをおこなった。あるいはこれが最後かもしれないと思ったが、ぼくは都合がつかず、行けなかった。
 去年、あんなに気に入って、2年も続けて来てくれたジョアンは来なかった(子供が誕生したので、それどころではなかったようだ。断っておくが、孫ではない。いろんな意味でジョアンはやっぱり凄いな)。

 そして、今年。日本の熱烈なファンの願いがかなって、3度目の来日コンサートが実現した。実際、日本の音楽ファンほどボサノヴァを純粋に聴き、支持している国は他にない(本国ブラジルも例外ではない)。

 今度こそ最後かもしれない。何がなんでも、聴きに行きたいと思った。

 例によって開演は1時間ほど遅れた。「今、アーティストはホテルを出ました」というアナウンスが3年前のコンサートを思いださせる。相変わらず、ご自分のペースだ。

 しかし、会場の雰囲気は3年前と微妙に違っていた。一言でいうなら、ジョアンと聴衆の関係が、より親密さを増している。決して馴れ合いではない信頼関係がその根底にある。ジョアンはわれわれ日本のファンを信頼している。だからこそ、こうしてわれわれの前に三度姿を見せているのだ。

 もちろん、われわれもジョアンに絶対の信頼を寄せている。過去二度の来日で、ジョアンが素晴らしいパフォーマンスをプレゼントしてくれることをみんな了解しているのだ。

 そんな中で、やっぱりジョアンは「神業」とも「奇跡」ともいえる濃密な時間を味わわせてくれた。 ぼくが行った9日は来春発売予定のDVDの撮影クルーが入っていた。そのせいか、気にいらなかったところをやりなおすという、珍しい光景を目にすることができた。メガネがずりおちて、ギターを弾けなくなったという光景もあった。そんなとき、和気あいあいとした雰囲気が漂い、何かプライベートなパーティに居合わせているような感覚をおぼえた。

 ボサノヴァは一般的に「やわな音楽」と受け取られている。しかし、もし本当にそうだとしたら、5000人の聴衆を2時間以上にわたってひきつけておくことなどできないだろう。譬えは悪いかもしれないが、「ブッ殺してやるぅ!」とわめきちらすよりも、耳元で低く「おい、何か言ったか」と囁くほうが凄味があるように、ボサノヴァにも凄味がある。

 また、「夏の音楽」というイメージにもちょっと救いがたいものがある。夏にボサノヴァを聴くと確かに心に涼しい風が吹く。けれども、冬にボサノヴァを聴くと暖かく包まれるのを経験するはずだ。それが本物のボサノヴァだ(冬に聴いてますます寒くなったら、それは似非ボサノヴァですよ)。

 ところで、タイトルを「ボサノヴァの神様」としたが、ジョアンは「自分はサンビスタ(サンバの歌い手)だ」と否定するらしい。だから、これはあくまでもぼくにとっての神様だという意味に受け取ってほしい。
 実際、ジョアンを聴いているとジャンル分けなど、つまらないことに思えてくる。ジョアンがわれわれに届けてくれるのは、特上の音楽なのだ。

 これが最後かもしれないと書いたものの、またぜひ来ていただきたい。心からそう願ってやまない。

 主催者が発表した演奏曲目は下記のとおり。

◆このごろの斎藤純

○所属する田園室内合奏団が参加する「田園ハーモニーコンサート」が終わり、残すは盛岡文士劇だけとなった。10月の映画祭以降、身も心も休まることがなかった(といえば、大袈裟だが)から、思い切って2、3日のんびりだらだらと過ごしたいと思っている(実際は貧乏性なので、そんなことは無理なんですが)。

イギリスのギター音楽集/グレアム・アンソニー・デヴァインを聴きながら