世田谷美術館は世田谷区の区立美術館だが、その内容と規模は地方の県立美術館を超えている。本展覧会は世田谷美術館開館20周年を記念するもので、さすがに見応えがあった。
ルソーを知ったのは10代の終わりころだったと思う。そのころはとても好きだった(もちろん、画集でしか見ていないのだが)。その後、いつしかルソーから気持ちが離れていった。
その理由を改めて考えると、ルソーに似た絵、ルソー的な絵、ルソーに影響を受けた絵などが日常に溢れているからではないだろうか。逆に言うと、それだけルソーは多大な影響力を今も持っているわけだ。
本展覧会もそういったあたりに着目している。ルソーのほかに、ボーシャンやボンボワら素朴派と呼ばれる画家の作品、そしてルソーに影響を受けた日本の作品(洋画、日本画、写真)を観ることができた。ことに日本人画家の作品は刺激的だった。
ルソーを観ていて、「おや」としばし立ち止まることあった。前に観たことがある、という懐かしさに似た既視感を覚えたのだ。もちろん、世田谷美術館が所蔵している作品は以前に何度も観ている。ぼくが既視感を覚えたのは、初めて観る作品だった。
これはルソーが持つ魅力のひとつだと思う。どこか懐かしさを誘うのだ(いい音楽を聴いたときも、初めての曲であるにもかかわらず、懐かしさを覚えることがある)。
もうひとつ、既視感の原因があった。岩手県立美術館でよく観ている松本竣介に似ているせいだ。
これは順序が逆である。ルソーが竣介に似ているのではなく、竣介がルソーに似ているのだ。それは別室に展示されていた竣介の作品を観たときに、さらにはっきりした。
後で図録をひらくと、ルソーと竣介について一章が設けられていた。この解説も読み応えがあった。
ところで、ルソーや素朴派と呼ばれる画家たちは、専門の美術教育を受けていない。いわゆる日曜画家だった。だから、稚拙といえば稚拙であり、それが大きな魅力となっている。
その後に素朴派風の作品を描いた画家たちは必ずしも日曜画家ばかりではない。ちゃんと教育を受けた画家が、素朴派風に(あえて言うなら稚拙に)描いたものと、そうしか描けなかった日曜画家による作品の違いを観ようと意識したのだが、どうもよくわからなかった。
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