岩手県立美術館で12月8日から開催中の『華麗な近代美人画の世界』展はとても見応えがある。
金沢の美術コレクター培広庵のコレクションから明治、大正を中心とした84作品が展示されている(培広庵コレクションの3分の1だそうだ)。
もっとも、ぼくはこのジャンルについてはまったく疎い。伊東深水はその作品よりも朝丘雪路の父親として認識しているし、鏑木清方についても画家としてよりエッセイストとして接してきたほうが多い。
それは、ぼくたちが日本画(や邦楽)に触れる機会があまりにも少ないことを意味している。東京や京都を別として、日本画をコレクションしている美術館も少ないし、企画展だって圧倒的に西洋絵画のものが多い。日本画については海外のコレクターや美術館のほうが熱心に蒐集していたりして、日本画の素晴らしさをそれらから教わるという逆転現象も決して珍しくない(浮世絵の研究にはボストン美術館が欠かせないし、最近では伊藤若冲の再評価もアメリカからもたらされた)。
それだけにこういうコレクションと展覧会は貴重だ。岩手、いや東北地方でこれだけまとまった美人画を観る機会は5年に一度、あるいは10年に一度くらいのもだろう。
美人画は様式美だ。江戸期に完成したスタイルが守られている。だから、時代を超越した普遍的な美をそこに見ることができる。
けれども、大正期に入ってからの作品に目を向けると、それまでの様式美から逸脱した、人間臭い作品を見つけることがある。岡本神草などがそうだ。
もう一度子細に見ていくと、決して伝統に縛られているわけではなく、日本古来の伝統を踏まえつつ、おのれの個性を、たとえば目のような細部に注ぎこんで描いていることがわかる。そんな小さなところに画家は命をかけたに違いない。描かれた着物の柄も興味深い。
広田百豊、紺谷光俊の前から、ぼくは長いあいだ動くことができなかった。二人ともこの展覧会で初めて知った、金沢の画家だ。
何か郷愁に似たものを覚えさせる展覧会でもある。あるいは、「古きよき時代の絵」という人もいるかもしれない。
ただ、描かれた時期をよく見ると、不況や戦争と重なっていたりする。当然のことだが、決して呑気な時代ばかりではなかったのだ。
厳しい時代だからこそ、人々は美人画を求めたという側面もあったのではないだろうか。画家はそんな人々の求めに応じて描いた。そういう意味で美人画の画家は、職人でもある。
岩手県立美術館の佐々木英也館長がぼくを見つけて近寄ってくると、「ほろりとするでしょう」とおっしゃった。
その意味をぼくは考えつづけている。
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