高橋忠弥(1912-2001/東京都出身)は1922(大正11)年から1938(昭和13)年までを岩手で過ごしている。同郷の画家である松本竣介や澤田哲郎らと切磋琢磨した。また、宮沢賢治とも交流があった。
高橋忠弥といえば、パステル調の淡い色彩で描かれたメルヘンタッチの油彩画を思い浮かべる。
けれども、それは渡仏後の作風であって、それ以前は暗い茶系のトーンの油彩画だった。戦争の時代と高度経済成長という社会背景を反映しているような気がする。
忠弥は詩人でもあったわけだが、どの絵からも詩情が感じられるから、一環して「詩人」だったと言っていい。
装丁家としては、深沢七郎の『楢山節考』や水上勉の『草の碑』など実に多くの本を担当している。それらを見ると、現在の書籍の装丁がとてもつまらないものに見えてくる。自由な発想が許される時代だったのだな、と思う。また、文芸誌か何かの仕事だったのか、柴田錬三郎や三島由紀夫のスケッチがあったのは驚いた。
画業に加えて、忠弥文字と呼ばれる独特の字体による書の作品や、数多く手がけた装丁の仕事にも目を向けていて、この規模のものは初めてだという。学芸員ら関係者の熱意が伝わってくる好企画だった。
花巻市萬鉄五郎記念美術館は低予算ながら、地方の小規模美術館とは思えないような企画展をひらくことで全国的に知られている。今回の企画展では、充実した図録が発刊された(会期中に間に合わなかったことは残念でならないが)。これを見ると、本来なら岩手県立美術館がやるべきことを代わりにやってくれたようなものだと思う。
その岩手県立美術館に忠弥のコレクションが一枚もないのは寂しい。 |