江戸期の画家(当時は絵師といった)谷文晁は、中国からも発注が来るほどの大画家だった。その文晁に、江戸で名医の誉れ高い川村寿庵(錦城)が発注して編纂させたのが『名山図譜』だ。
発注者である寿庵は南部藩出身。名医としてばかりでなく、奇人変人としても広く知られていた。なかでも「山狂い」は有名だったそうだ。百名山ブームで湧く現代と違い、江戸時代には楽しみとしての登山という習慣がなかったし、そう簡単に旅行ができるわけでもなかっただろうから、「山狂い」などと呼ばれたに違いない。
『名山図譜』は好評を呼び、寿庵は『日本名山図会』を企画編纂する。もちろん、絵は谷文晁である。これも当時の大ベストセラーとなり、版を重ねた。
当時は中国からの南画の模写が絵師の仕事だったが、文晁は写生をもとにこの本を制作した。その点でも先進的であり、ユニークだった。
『日本名山図会』には88座の山の絵が収められている。そのうち、岩手山、姫神山、七時雨山、駒ヶ岳、南昌山が岩手の山だ。南部藩という枠組みでとらえると、下北半島の臥釜山も入る。
ぼくは10年ほど前に、『日本名山図会』の復刻本(国書刊行会)に出会い、感銘と衝撃を受けた。さっそく同郷のカメラマンでオートバイツーリングの仲間である小原信好さんを誘って、この本に描かれた東北の山々を巡るツーリングをした。その紀行文は『オートバイの旅は、いつもすこし寂しい。』(ネコ・パブリッシング社)としてまとめられた。
あのころにこの企画会が行なわれていればなあ、と思う。当時、『日本名山図会』は郷里の人々にもほとんど知られていなかった(今もそうだが)。
本展覧会では、『日本名山図会』の成立事情から、その後に与えた影響などが豊富な資料で紹介されている。彩色された異本(オリジナルは墨絵)があることも本企画展で初めて知った。特筆すべきは、川村寿庵に関する研究成果だろう。この人物については急速に再評価が進んでいる。これも含めて、実に刺激的で充実した展覧会だった。
会場の狭さが残念だったが、学芸員の熱意が伝わってくる企画展で、見終わった後に登山と似たような爽快感を覚えた。
販売されている図録も、一級の資料価値がある(これで1000円は安い)。
これまで『江戸人が登った百名山』(小学館文庫)くらいしか簡単に入手できる資料がなかったので、とても助かる。
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