盛岡市在住の弦楽器奏者、山口あうい(ヴァイオリン)、米倉久美(ヴァイオリン)、熊谷啓幸(ヴィオラ)、三浦祥子(チェロ)による室内楽コンサートがあった。彼らは個々に室内楽や弦楽合奏団バディヌリなどでの活動のほか、後進の指導にもあたっている。すでに盛岡では馴染みの顔ぶれと言っていい。
【プログラム】 |
[1]モーツァルト: |
ヴァイオリンとヴィオラのための二重奏曲 第2番 KV424 |
[2]モーツァルト: |
ヴァイオリンとヴィオラとチェロのためのディヴェルティメント KV563より第4楽章、第6楽章 |
[3]ドヴォルザーク: |
弦楽四重奏曲第12番「アメリカ」Op.96 |
アンコール |
長谷川恭一: |
「星めぐりの歌」(宮沢賢治作曲/長谷川恭一編曲) |
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「野の花のワルツ」 |
[1]は山口あういさんと三浦祥子さんの演奏。本来はヴァイオリンとヴィオラの二重奏だから、チェロ編曲版ということになる。幕開けのこの曲ではやや固さが感じられ、それが音程に出てしまった。 [2]では固さも消え、ヴィオラの熊谷さんの好演とあいまって、親密な弦楽器の対話を聴くことができた。ヴィオラはなかなか難しい楽器で、プロの演奏でもヴィオラらしいサウンドを聴けないことがよくあるのだけれど、熊谷さんはヴィオラならではのサウンドを出せる希有な演奏家だ。ところで、この曲をぼくは初めて聴いたのだが、冒険心の感じられる名曲だ。
休息の後、メインプログラムのドヴォルザークが演奏された。この大曲はドヴォルザークの代表作であるばかりでなく、弦楽四重奏全体にとって重要な作品でもある。
ドヴォルザークは、1892年からニューヨークのナショナル音楽院の校長を3年間つとめた。経済大国となったアメリカが、一流の文化国家をつくりあげるために大枚をはたいてドヴォルザークを招聘したのだった。
新興国アメリカで、ドヴォルザークは多額の報酬を得ただけではなく、創作上のインスピレーションにも恵まれ、交響曲「新世界」や弦楽四重奏曲「アメリカ」などを生んだ。アメリカの富 がクラシックの世界に幸運をもたらしたわけだ。
協奏曲の名曲中の名曲であるチェロ協奏曲Op.104も、作曲されたのはチェコに帰ってからだが、アメリカ土産と言っていいだろう。
弦楽四重奏曲はしばしば四人の弦楽器奏者による「対話の音楽」と言われる(作曲家の池辺晋一郎氏によると「だから、弦楽四重奏団は始終相談ばかりしている」)。ベートーヴェンの後期の弦楽四重奏作品を聴いていると、本当にそれがよくわかる。
ドヴォルザークのこの作品はスケールが大きく、対話は四人のあいだだけにとどまらない。山口あうい、米倉久美、三浦祥子、熊谷啓幸の四人はやや早めのテンポで勢いのある、引き締まった演奏で我々聴衆を対話のなかに実によく気持ちよく引き込んだ。
演奏後、ほぼ満員の客席から「ブラボー」の声が上がったのも大いに頷ける。
アンコールの曲もよく、いかにもこのホールに相応しいコンサートとなった。
なお、この日のメンバー4人はパーマネント(固定したメンバー)のカルテットとして活動していくと聞いた。固定メンバーにすることは弦楽四重奏を演奏するうえでとても大切なことだから、ちょっと付け加えておきたい。
交響曲の場合はオーケストラのメンバーが本番当日に集まっても何とか形になる。指揮者がいるからだ。弦楽四重奏団はそうはいかない。弦楽四重奏団ではメンバーの一人ひとりが指揮者の役割も兼ねるのである。
今回、上記4人のメンバーはこの日のために練習に練習を重ねたという。せっかく築かれた信頼関係(あるいは、対話関係と言い換えてもいいかもしれない)をこの日限りのものにしてしまうのはいかにも惜しい。弦楽四重奏団結成を大いに歓迎したい。
ところで、弦楽四重奏のような室内楽のコンサートはなかなか人が集まらないのに、交響曲などは大きなホールが満席になる。室内楽は「退屈」あるいは「難しい」と思われているようだ。
クラシックマニアにいわせると「室内楽を聴かない人がオーケストラを聴いて、いったい何がわかるのだろうか」ということになる。ぼくはそこまでキツいことは言えないけれど、オーケストラは室内楽の集合体なのだということは覚えておいても損はないだろう。 |