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◆第201回 2年ぶりに11本のストラディバリを聴いた(8.June.2009)

いわぎんスペシャル
ストラディヴァイリウスサミット・コンサート2009
2009年5月30日 午後5時開演
岩手県民会館大ホール

 ヴァイオリンの名器といえば、ストラディヴァリ、アマーティ一族、グァルネリ一族がつとに有名だ。いずれも17世紀から18世紀にかけて、イタリアはクレモナに工房をかまえたヴァイオリン製作者たちである。
 クレモナの名器のなかでもストラディヴァリの名声は、クラシックに興味のない人にも知れわたっている。ストラディヴァリの手になるヴァイオリンをかつてラテン語でストラディヴァリウスと称したが、この呼び方を使っているのは今では日本だけらしい。欧米では単にストラデヴァリ(発音に近づけるならば、ストラディヴァーリ)と呼ばれているそうだ。
 それはともかく、しばしば誤解されがちなのだが、ストラデヴァリは高価だから残ったのではない。素晴らしい楽器だったから残ったのである。

 音楽家たちは、ストラディヴァリという遺産を次世代にいい状態で引き継ぐという義務と役割を自身に課してきた。そのおかげで私たちはこの名器によって奏でられる名曲を味わうことができる。絵画と美術館の関係に似ているところがないでもない。

 ストラディヴァリはヴァイオリンだけではなく、ヴィオラもチェロもつくった。が、残っているものは少ない。後世にヴァイオリンに作り替えられてしまったからだ(ヴァイオリンの引き合いの方が多いからですね)。
 これらの名器には数億円単位の価格がついており、音楽家個人ではなかなか購入できない。使われている楽器のほとんどは財団や企業、貴族、大富豪から音楽家に貸しだされている。今回の『ストラディヴァリウス・サミット・コンサート2009』で使われる楽器も同様に貸し出されたものだ。このコンサート、私は2007年についで2度目である。
 プログラムは下記のとおり。

第1部
〈1〉W.A.モーツァルト:ディヴェルティメント ヘ長調 KV138
〈2〉スーク:弦楽のためのセレナーデ 変ホ長調 作品6
第2部
〈3〉ヴィヴァルディ:ヴァイオリン協奏曲集「和声と創意の試み」より「四季」
アンコール
〈4〉チャイコフスキー:弦楽セレナードから第2楽章
〈5〉サラサーテ:ナヴァラ
〈6〉モーツァルト:ディヴェルティメント KV136の第3楽章
〈7〉グリーグ:ホルベルト組曲から第1楽章

 重厚なサウンドで知られるベルリン・フィルのストリングス・セクションのプレイヤーが、ストラディバリを演奏するのだから、こんな贅沢もそうめったにあるものでない。
 けれども、前回と同様にベルリン・フィルのメンバーは、交響曲を演奏するときとはだいぶ違う雰囲気でホールを盛り上げた。アンコールで、セバスティアン・ヘーシュが流暢な日本語で「ドイツ人は堅(かた)いといわれますが、そうではないことがこの曲でわかります」とサラ・サーテの『ナヴァラ』を紹介するなど愉快だった。リラックスした、和やかな雰囲気で名器の響きとヴィルトゥオージティ(名人芸)を堪能した。
 ストラディヴァリはよく知られていながら、実際に耳にする機会は少ない。そういう意味でも、このコンサートは貴重だ。名器を音をしっかりと「耳に焼きつけて」きた。

 申し分のないコンサートではあったが、メインのプログラムが前回と同じ『四季』というのはいただけない。参考までに、今回ベルリンフィルハーモニック・テトラディヴァリ・ソロイスツは下記を加えた3種類のプログラムを用意していたから、選択の余地はあった。

[プログラムA]
クリストバル・デ・モラーレス:アンティフォーノ(「死者のための聖務日課」より )
ヘンデル:合奏協奏曲集 作品6より 第1番 ト長調 HWV319
ヴィヴァルディ:2つのヴァイオリン、2つのチェロのための協奏曲 ト長調 RV575
ニールセン:小組曲 イ短調 作品1
バーバー:弦楽のためのアダージョ 作品11
ドヴォルザーク:弦楽のためのセレナーデ ホ長調 作品22
 
[プログラムC]
J.S.バッハ:2つのヴァイオリンのための協奏曲 ニ短調 BWV1043
J.S.バッハ:ハープシコード協奏曲 第1番 ニ短調より 第1楽章 BWV1052
ヴィヴァルディ:2つのヴァイオリン、2つのチェロのための協奏曲 ト長調 RV575
チャイコフスキー:アンダンテ・カンタービレ(弦楽四重奏曲 第1番 ニ長調 作品11より)
サラサーテ:ナヴァラ 作品33
ヒンデミット:葬送の音楽
ボッテジーニ:悲歌 第1番 ニ長調 (コントラバス独奏)
ショスタコーヴィチ(バルシャイ編):室内交響曲 作品110a (弦楽四重奏曲 第8番より)

◆このごろの斎藤純

○昨年、沢内村の医療を題材にしたドキュメンタリー映画『いのちの作法』をプロデュースした都鳥兄弟(双子)の最新作『葦牙(あしかび)』の上映会が7月11日岩手教育会館で開催される。その実行委員長をつとめることになった。
○『葦牙』は、乳児を除いて保護者のいない児童、虐待されている児童、その他環境上養護を要する児童を入所させて、これを養護し、あわせてその自立を支援する事を目的とする児童養護施設みちのくみどり学園で撮影された。
重いテーマに真っ正面から取り組んだ作品だ。観ているのがつらいシーンもあるし、切ないシーンもある。扱っているテーマ(家庭内暴力)もある意味で陰惨だ。
けれども、決して暗い映画ではない。むしろ、何か勇気づけらたような気さえしている。逆境ゆえに発する輝きなのか、子供が持つ潜在能力ゆえなのか。
○こういう映画がつくられない社会が望ましいのは当然だ。しかし、現実として家庭内暴力や児童虐待は今日もどこかで起きている。これは大きな社会問題でありながら、閉ざされていてわかりにくいのも事実だ。この映画は一石を投じ、大きな波紋をひろげることになるだろう。盛岡上映会をぜひ成功させたい。

アルヴォ・ペルト:ベルリン・ミサ曲を聴きながら