この日、私は早朝から第33回北上川ゴムボート川下りの本部につめていた。参加するゴムボートが1000艇を超える川下り(ラフティング)は世界に類を見ない。そこで、ギネスブックに登録申請することになった。ギネス申請には公平な立場の「証人」が必要だそうで、私は岩手県商工労働観光部長の廣田淳氏と共にその任にあたった。
申請はおそらく通る。盛岡市はすでに「さんさ踊り」が世界最大規模の太鼓パレードとしてギネス登録されているから、2つ目のギネス記録保持市となるのは間違いない。
証人としての役目を終え、岩手県民会館大ホールには開演直前に着いた。
私が伊藤奏子さんの演奏を初めて聴いたのは、2001年のシベリウスのヴァイオリン協奏曲だった。あのときは「これ以上の感激を与えるものと出会うことはもうないかもしれない」と思ったものだ。そして、2007年に夫マーティン・ストーリーと共演したブラームスの二重協奏曲のときも「これ以上の感激を受けることはもうないだろう」と思った。
ところが、今回、私はまたしても「もうこれ以上の感激はない」と思った。伊藤さんのコンサートは毎回、新鮮な感動を与えてくれる。
伊藤さんは今回、オーケストラのコンサートミストレス(コンサートマスターが女性の場合、このように称する)として、その席に座った。リムスキー・コルサコフの『シェヘラザード』はヴァイオリン・ソロが重要な役割を担うが、ソリストではなく、コンサートマスターが弾く。
伊藤さんが弾くソロのスケールの大きさにまず感銘を受けた。さらにもうひとつ、伊藤さんがコンサートミストレスをつとめていると、オーケストラ全体の音の鳴り方が変わることに驚かされた。
今回は各セクションの要所要所にプロの演奏家を配したが、それをまとめるうえで伊藤さんが果たした役割は大きい。
マーティンさんのドヴォルザーク(チェロ協奏曲)は、ひじょうに高い集中力に満ちた演奏だった。私はこれをヨーヨー・マ、ミクローシュ・ペレーニの演奏で聴いたことがあるが、これらの名演に匹敵すると思う。
オーケストラもよく頑張った。首席ファゴットとして参加された水間博明(ケルン放送管弦楽団首席ファゴット奏者)さんが終演後に「まるでベルリン・フィルで吹いているようだった」と笑顔で語っていた。ま、ベルリン・フィルはともかくとして、弦楽器も管楽器もよく鳴っていた。
この日のために集まったオーケストラをまとめあげたのは、伊藤さんの盟友と言っていい寺崎巌さんである。寺崎さんには大きな拍手をここでもう一度送りたい。
『シェヘラザード』はアラビアン・ナイトを標題にした音楽だ。だから、ときおりアラビア風の旋律も出てくる。けれども、これはきわめてロシアっぽい作品なのである。
考えてみれば、リムスキー・コルサコフはロシアの民族性に立脚した作曲家であり、同じ傾向のボロディンらと「ロシア5人組」と呼ばれている。ロシア的であって当然なのだ。
しかし、これまでこの曲を聴いて(CDだが)「ロシア音楽」であることをこれほど強烈に感じたことはなかった。おそらく、寺崎さんは「ロシア的」な部分を強調したのだろう。
オーケストラにはシベリウスのヴァイオリン協奏曲のときと重なるメンバーも少なくない。このオーケストラは「北国の響き」を確かに持っている。
終演後に伊藤さんから寺崎さんの指揮についていろいろと興味あるお話をうかがうことができた。寺崎さんの格段の進歩を高く評価しつつ、さらなる要求にはなかなか厳しいものがあった。
もっとも、指揮者は「要求されるものが多い」仕事であり、どんな名指揮者であってもオーケストラのメンバーからは不満が出るものなのである。
終わったばかりだというのに、次がもう楽しみだ。
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