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◆第211回 目眩がするような熱気の『集団N39』展(09.November.2009)

 花巻市萬鉄五郎記念美術館で開催中(12月23日まで)の『集団N39』展を観た。いや、これは「観た」というより「体験した」というべきかもしれない。なにしろ、展覧会場に入ったとたんにむせ返るような熱気が押しよせてくる。私はその熱気に酔い、目眩を覚えた。

 チラシのリードコピーを書き写そう。
 「1922年、萬鉄五郎が日本のアバンギャルドの先陣を切る。―それから50年 大阪・具体美術、九州派、東京・ネオダダと期を同じくして、戦後日本の前衛美術の開花を担い北の地盛岡に<怪現>した先鋭美術集団N39の軌跡を顧みる。」

 〈怪現〉したという言葉がこの展覧会の特徴をよくあらわしている。実際、どのように〈怪現〉したのだろうか。以下、パンフレットから引く。
 〈1962(昭和37)年、「1人の詩人8人の画家と1人の芸術家 舞踊家による盛岡4月8日の日曜日」と題された舞踊と芸術による1日限りのショーは、高橋昭八郎、柵山龍司、村上善男、藤澤多巳夫、橋本正、杉村英一、及川節郎、大宮政郎、田村富男、上飯坂清子、伊藤元之の11名によって行われ、岩手の美術シーンに衝撃を与える。翌63年10月、「4月8日」メンバーを含む県内前衛芸術家10名が、「今日の美術展」を開催。同年末頃から彼らは、この集まりを「集団N39」と名乗るようになる。後に、佐々木弘、多田雅彦、藤原國男らが加わり、展覧会やパフォーマンスを通じ、以後6年間にわたり前衛美術運動を展開することになる。〉
 というわけで、集団N39の活動期間は1962年から1969年だ。N39は盛岡が位置する北緯39度に由来する。
 すでに40年の歳月が経っているので物故作家もいれば、すでに芸術活動から離れている方もいる。大宮政郎氏や柵山龍司氏のように現役で活躍されている方もいらっしゃる。
 会場は膨大な点数の作品で埋め尽くされているが、これだけの作品を集めるのは大変だったことだろう。何よりもこれらがちゃんと残っていたことに驚かされる。もちろん、なかには「作品を残しておかなかった」、「どこかへいってしまった」というものもあるが、当時の通りの復元展示もあって興味深い。

 しつこいようだが、とにかく会場に漂う熱気がすごい。集団N39の当時のエネルギーがダイレクトに伝わってくる。彼らは何かをやらずにはいられなかったのである。
会場は決して充分なスペースがあるわけでなく、「詰め込み過ぎ」という声も聞かれたが、集団N39のパワーを伝えるのには効果的だと思う。

 展覧会オープニングの日、メンバーの方々が各地から集まってこられた。その中に私が中学校で習った美術教師を見つけたときはまた驚いた。

◆このごろの斎藤純

○日本ペンクラブの日中作家交流事業の代表団の一員として、11月10日から一週間、中国へ行ってくることになった。北京、上海でそれぞれの地で活躍している作家と会ってくる。また、西木正明団長のリクエストで、ゴビ砂漠を見てくる予定だ。私は日本でなかなか観ることのできない中国水墨画を所蔵する美術館を訪れたいと思っているのだが、果たしてその時間があるかどうか。

ユパンキ・ギター名演集を聴きながら