トップ > 目と耳のライディング > バックナンバーインデックス > 2010 > 第239回




◆ 第239回 困難と哀しみを乗りこえて(27.December.2010)

 クリスマス寒気が盛岡に大雪をもたらした。
 12月26日。遅刻する人が続出するだろうという予想も外れて、無事に「第九」演奏会を終えることができた。おかげさまで大成功だった。
 何度もこの曲を演奏しているプロの客演奏者が「岩手らしい透明な響きの第九だった」、「第三楽章で涙が出てきた。こんなことは初めてだ」と語っていたのが印象的だ。オーディエンスからも絶賛の声が寄せられた。

 地元の人が合唱に参加する「第九」コンサートは珍しくないが、オーケストラも自前によるコンサートはとても珍しい。しかし、プロでも難しいこの曲をアマチュアの我々が演奏するのは、大変な困難が伴った。それぞれの楽器の指導に当たった先生たちは口々に「指揮者の寺崎巌さんから最初に相談されたときは不可能だと思った」と今日の成功を喜んでいた。

 合唱とオーケストラは合わせて270名にもなった。田園ホールの大きなステージでも、それだけの人数を上げることは不可能だった。田園ホールのスタッフによってステージを張りだす突貫工事が行なわれ、不可能を可能にした。このコンサートは実に多くの人に支えられて実現したが、このエピソードもそのひとつと言っていた。

 本番直前、最後のリハーサルで寺崎さんが「このステージに合唱の一人として上がっているはずだったMさん、このステージの実現に尽力してくださった岩手日報の一戸学芸部長が、今月になって相次いで急逝されました。この曲のあいだ黙祷を捧げましょう」と、バッハの「G線上のアリア」の楽譜を各パートのトップに配って演奏した。
 曲のあいだ、あちこちからすすり泣きが聞こえた。
 アリアが終わると「さあ、気持ちを切り換えて、天国に届くような『歓喜の歌』を演奏しましょう」と。
 このとき、我々270名の心がひとつになったように思う。

 寺崎巌さんの指揮は、情熱を迸らせながらも決して感情に流されず、丁寧かつ確実に振る。これも評価が高かった。

 終演後、友人から「感動しました。すばらしい演奏だったと思います。舞台背景で微笑みながらうなずいている、ベートーヴェン先生の姿が見えました。」というメールをもらった。涙が出るほど嬉しかった。

 実はこのコンサートを最後に私は田園室内合奏団を辞める。昨年、「第九に出るため、来年(つまり、今年)の文士劇出演は辞退させてください」と伝えたときから、決意を固めていた。
 私にとって音楽は田園室内合奏団の活動も含めて、心の支えだ。だから、田園室内合奏団の活動を優先してきたつもりだが、それでも練習にはなかなか参加できなかった。今回、「第九」をやって、自分の限界を知ったこともいいきっかけになった。

 終演後、打ち上げ会場でヴィオラセクションの仲間たちに退団することを初めて告げた。
「では、名誉団員ということで」といわれた。その気持ちがありがたかった。

 田園室内合奏団は辞めるが、ヴィオラはこつこつと続けていくつもりだ。バッハの『フーガの技法』(弦楽四重奏版)を練習しようと考えている。この曲を通して、バッハをさらに理解することができれば、と思っている。

 何はともあれ、ひとくぎりついた。

◆このごろの斎藤純

〇というわけで、今年のメインイベントを無事に終えて、放心状態にある。この日のために後回しにしてきたことが山積している。年末年始に片づけなければならない。

バッハ:フーガの技法を聴きながら