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◆ 第242回 風土と一体化した市民劇(7.February.2011)

第4回奥州市民文士劇『炎立つ −冥き稲妻−』
2011年1月29日、30日
江刺体育文化会館ささらホール

 以前から評判は耳にしていたものの、観劇の機会を逸してきた奥州市民文士劇を初めて観ることとができた。評判にたがわぬ舞台、いや、予想を上回る力作・力演だった。

  高橋克彦氏の原作は、これまでにNHK大河ドラマになり、劇団わらび座によって舞台化もされている。今回は脂の乗っている道又力氏が脚本化、あの長大な物語を正味2時間半あまりにまとめた手腕はさすがだ。原作の神髄を理解していないとこうはいかない。そして、演出の浅沼久氏との強力なコンビは盛岡文士劇でもお馴染みだ。

 盛岡文士劇とは性質が異なるので単純な比較はできないが、スケールでは遥かに上回っている。それを可能にしているのは、市民の力だ。
 市民劇・町民劇は県内各地で盛んに行なわれていて、藤沢町のように東京公演を実現している例もある。演劇は年齢や職業を超えて、住民が一体となって取り組むことができる。ある程度の専門性も必要だが、音楽ほどではないから、誰でも参加しやすい。それに、演劇は総合芸術なので、キャスト以外にもそれぞれの得意な領域で活躍ができるのもメリットだ。むしろ、裏方として支えるほうが充実感が大きいという人もいる。
 場面転換を芝居の切れ目なく行なうという離れ業を滞りなくできたのは積み重ねた稽古と、スタッフのチームワークのたまものだろう。私はそのつど驚きの溜息を洩らしながら見入っていた。

 キャストはいずれもその役を演じるために生まれてきたのではないか、と思わせるほどハマっていた。中でも及川正子氏は、独特の節回しによる長セリフが説得力を持っていて、鬼気せまるものを感じた。

 最後の最後に原作者の高橋克彦氏が藤原清衡役で登場。供養願文を読み上げた。
 たいていの場合、退屈してしまう場面だ。
 だが、この場面でも私は涙を流してしまった(きっと、私だけではないと思う)。克彦氏がまるで清衡そのもののようにように私には見えてならなかった。

◆このごろの斎藤純

〇1月は比較的のんびりと過ごすことができたが、2月は講演や文章講座の講師、取材旅行などがあり、慌ただしい。風邪をひかないように、お茶うがいと手洗いをつづけている。

フィルモア・イースト・ライヴ/オールマン・ブラザーズ・バンドを聴きながら