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◆ 第260回 仙台でフェルメールに会う (21.November.2011)

『フェルメールからのラブレター』展
宮城県立美術館
2011年10月27日(木)〜 12月12日(月)

 東日本大震災の影響で、いくつもの来日コンサートや海外の美術展が中止になった。そんな中で、本展覧会が無事に開催されたことに大きな拍手を送りたい。

 日本人はフェルメールが好きだ。印象派以前のヨーロッパ美術で、これほど好まれている画家はほかにいないだろう。その理由は、フェルメールを観るうえでキリスト教やギリシヤ神話の素養が必要ないこと。それと、印象派にひじょうに近いことが挙げられると思う。さらに、現存する作品数が30数点とひじょうに少ないことも「魅力」を増しているだろう(真贋をめぐって諸説あり、作品数は特定できない)。

 本展では『(手紙を読む)青衣の女』、『手紙を書く女』、『手紙を書く婦人と召使』を観ることができる。このうち、『(手紙を読む)青衣の女』は初めて日本にやってきた作品だ。いずれも「手紙」が重要なモチーフとなっている。
 フェルメールはほかにも『恋文』、『窓辺で手紙を読む女』などの手紙シリーズがある。
 「手紙」というモチーフは本や楽譜よりも、物語を強く感じさせる。そのあたりも人気の秘密なのかもしれない。

 フェルメールとほぼ同時代のオランダ美術と見比べるとフェルメールひとりが突出している。感覚が新しいというか、やはり印象派に直結している。17世紀当時はフェルメールよりも人気のあった画家の作品は(当時は素敵だったかもしれないが)、いかにも古めかしい(それが魅力でもあるのだが)
 21世紀の私たちは古代(あるいは原始時代)から、こんにちの現代美術まで一緒くたに観ることができ、そのうえで好き嫌いを述べることができる。画家の側からすれば、「厳しい土俵」を強いられるわけだ。
 そういう見方が正しいかどうかはともかく、フェルメールに対する評価はその普遍性を充分に物語っているといっていい。

 私が宮城県立美術館へ行ったときは、心配していたほど混雑もしていなくて、ゆったりと過ごすことができた。これもありがたかった。
 繰り返しになるが、本店の開催に尽力された宮城県立美術館ならびに関係する美術館に最大級の賛辞を送りたい。

◆このごろの斎藤純

〇冬は風邪をひかないほうなのだが、珍しく風邪をひいてしまった。いつもなら医師が処方した薬を三日も飲めば治るのに、ずいぶん長引いている。熱が出ないから、日常生活に支障はきたさないものの、早くすっきりしたいものだ。

イタリア組曲/アンジェラ・ヒューイットを聴きながら