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◆ 第263回  2011年を振り返る その2 (10.January.2012)

 前回につづいて、2011年を振り返ってみたい。
 東日本大震災津波で甚大な被害を受けた被災地で、直後からさまざまな支援活動がはじまったことは周知のとおりだ。私も被災地支援チームSAVE IWATEの副代表として、支援活動に参加した。

 その過程で驚いたというか、認識を改めたことがある。
 避難所から「本がほしい」、「読み聞かせをしてくれる方に来てほしい」という要請があったのは、確か10日後くらいだった。図書館や学校を失った地域からはいずれそういう要請が来るだろうと思ってはいたが、正直なところ、こんなに早い時期に来るとは思っていなかった。ある程度、落ち着いてからのことになるだろうと予想していたのだ。
 本を巡る支援については、いい話も悪い話も、ドタバタもあるが、ここでは触れない。
 大切なのは、あの状況下で本が求められたことだ。

 食料品や衣類などの支援がつづく中、文化を後回しにしてはならないという声が上がった。その声は行政を除く、あらゆる方面から聞こえてきた。このとき、「行政の手の及ばない領域」があることが我々のあいだでひろまっていった。そして、文化支援活動がひろまっていった。

 スポーツは、見る場合でもやる場合でも団結を招く。音楽は、一緒に歌ったり、踊ったりすることで心が潤いを取り戻す。さらに、「泣いている場合ではない」という心境だった被災地の人々にとって、音楽は心ゆくまで泣ける機会となった。その過程で、音楽を演奏する側にもさまざまな影響があった。以上はいずれ専門家によって、きちんと研究されることと思う。

 音楽による支援活動について、少し書いておきたい。
 プロアマ問わず、さまざまなジャンルのたくさんの方々が、被災地を訪れた。その思いは尊重したいが、押しつけがましい例もあったという。本は読みたい人が開けばいいのだが、音楽は近くで演奏が始まると聴きたくなくても耳に入ってくる。
 どんな名曲・名演だろうと、嫌いな人や興味のない人にとっては雑音でしかない。ましてや、避難所という「極限の状態」に置かれているときだ。
 そのことを理解していない方々が、大挙押し寄せたと思っていただきたい。ある意味で、これもまた惨状である。
 たまりかねて「帰れ!」と怒鳴られ、追い出された例もあったそうだ。
 避難所は仮とはいえ、家である。他人の家に乗りこんでいって、音楽を演奏するのだから、追い返されても文句はいえない。
 もちろん、それらは稀な例だ。ほとんどの場合、こんな音楽は聴きたくないと心の底では思っていても、暖かい拍手が送られた。これがマスコミによって報じられると、「被災者のみなさんに喜んでいただけた」となる。
 マスコミといえば、マスコミが取材に来ていないことにヘソを曲げた音楽家もいたという。被災地を売名行為の場としか思っていないのだ。

 ネガティブな情報を列記してしまったが、あまり報じられていないことなので、あえて書き残しておくことにした。

◆このごろの斎藤純

 12月も月末近くなって、自分の時間を取れるようになった。考えてみると、こんなに静かに過ごせるのは震災後、初めてだ。
 震災後、膝の高さまで本が散乱した仕事部屋の片づけをした。ようやく自宅の復興に着手できたわけだ。

ロッシーニ:湖上の美人を聴きながら