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◆ 第270回  今もなお刺激的なセザンヌ (1.May.2012)

『セザンヌ パリとプロヴァンス』展
国立新美術館 2012年3月28日-6月11日

 その画家が生きていた時代にはセンセーショナルであったり、革新的であったかもしれないが、こんにちの我々の目には実にオーソドックスに映るという例は決して珍しくない(これは美術だけではなく、音楽にも同じことがいえる)。
そんな中で、セザンヌは今見ても新鮮だし、先進的(前衛といっても過言ではない)でもある。

 私は絵画でも音楽でも、構成力(構図)よりもタッチに惹かれる傾向が強い。マイルス・デイヴィスの音楽は、たとえ初めて聴く演奏であっても、彼独特のトランペットのタッチ(この場合、トーンと言い換えてもいいかもしれないが)から判別できる。
絵画の場合、タッチは筆触を指す。絵画の歴史を見ると、19世紀まではタッチが見えようにすることに力を注いでいた。印象派はその伝統を断つ(その背景には写真の登場も影響しているかもしれない)。
 セザンヌのタッチは独特だ。樹木も空も山も、筆を同じ方向に短く運んで描く。そのタッチによって画面に動きを出す。

 今展では、セザンヌが「タッチ」を見いだす前の初期作品も展示されている。作家名が記してなければ、私はそれをセザンヌの作品とわからなかっただろう。セザンヌはタッチの画家なのだと改めて感じた。

 私はセザンヌのおかげで絵を観る喜びを知った。だから、セザンヌは私にとって師匠であり、恩人でもあると思っている。今展では90点にも及ぶ作品に囲まれ、至福のひとときを過ごすことができた。
展覧会場を歩きながら、10数年前にメトロポリタン美術館を訪れたときのことが脳裏によみがえった。セザンヌだけの部屋があり、私はそこで数時間過ごした。あのとき、私はMDウォークマンで、マイルス・デイヴィスを聴きながらニューヨークの美術館巡りをしたのだった。

 ところで国立新美術館は、 二・二六事件ゆかりの旧歩兵第三連隊兵舎の跡地(戦後は東京大学生産技術研究所として使われていた)なので、その一部分がほんの申し訳程度に保存されている。
 滑稽なのは、それを見るためにはわざわざ隣の政策研究大学院大学の正門から入り直さなければならないことだ。ご丁寧なことに、ここをショートカットしようとする人に注意する係員も張りついている。ちゃんと道をつくればすむのに、こういう非合理的な規制を滑稽だと気づかないところが、いかにも「国立」の施設らしい。

◆このごろの斎藤純

〇いよいよ連休だ。去年はあまり休めなかったが、今年はほぼカレンダー通りに休めそうだ。

『アガルタ』/マイルス・デイヴィスを聴きながら