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◆ 第297回 アントニオ・ロペスに圧倒された(10.June.2013)

 実はリアリズムやスーパー・リアリズムにはあまり興味がない。凄いなあ、とは思う。凄いなあと思いつつ、心のどこかで「ご苦労さんだなあ」という醒めた思いを抱いてしまう(ま、単なるヘソ曲がりにすぎないのだが)。
アントニオ・ロペスは現代のリアリズムの巨匠だ。本来ならば積極的には足を運ぶ気にならないのだが、今回は別だった。
 何年か前に『マルメロの陽光』というドキュメンタリー映画を観た。時間をかけてマルメロを描いているうちに、時間をかけすぎたためにマルメロが腐っていき、結局は制作を中断してしまう。そうなることがわかりきっているのに、アントニオ・ロペスは別の方法を取ろうとはしない。この不思議な映画を観て以来、アントニオ・ロペスのことが気になっていた。この展覧会は岩手県立美術館にもまわってくるのだが、9月まで待てず、Bunkamuraザ・ミュージアムまで行ってきた(4月27日-6月16日)。
展示されている作品を観たとたん、一瞬にして虜になった。この感覚は9年ほど前にザオ・ウーキーを観て以来、久々だ(そのときのことは第78回をご参照ください)。特に、この企画展のポスターやチラシにも使われている「グラン・ピア」の前からは、なかなか立ち去ることができなかった。
 目に見えている風景を正確に描写した写実だ。その写実は徹底していて、目眩を誘うほどだ。写真のようだ、という見方もできないではないが、写真とはまるで違う。もちろん、「ご苦労さん」などというレベルではない(あえて言うなら、「ご苦労さん」と思わせるような写実画はまだ修行が足りないということだろう)。
 ひとことで言うと、アントニオ・ロペスの写実は写実を超えている。客観的な視点でありのままの風景を描いていながらも、そこに画家アントニオ・ロペスの思いが込められている。
画家の主観が入ると、風景画も抽象画のようになっていく(モネがその典型だ)。ところが、アントニオ・ロペスの場合、主観が入っているのに抽象的にはならない。そこが不思議だ。
 何かの物語を下敷きにしているわけでもないのに、見ている私はセンチメンタルな気分になる。それも不思議だ。
いずれにしても私にとっては「こんな画家がいるのか」という驚きと「こんな絵があるのか」という驚きが重なり、さらには「私もリアリズムを決して嫌いではないのかもしれない」という発見もあって、わざわざ出かけていった甲斐があった。
マルメロが腐ってしまったように、アントニオ・ロペスは制作に膨大な時間をかけることで知られている。「グラン・ピア」には7年かけている。ほかにも「マドリードの南部」は20年、「フランシスコ・カレテロ」にいたっては26年。こういうスケールが私には「スペイン的」と思えるのだが、勝手な思い込みだろうか。
◆このごろの斎藤純
〇今年もサイクルエイドジャパンに参加した。昨年は盛岡〜花巻間に設定された約90キロを走破した。今年は花巻〜一関間のコース約90キロに挑戦し、無事に完走した。
〇昨年と同様に他県からの方がたくさん参加されていたが、今年は地元からの参加も増えたようだ。
〇同じ日、福島では東北六魂祭が開催され、盛況だったそうだ。今後もさまざまな形で復興を支援していただければと思う。
〇それにしても、今年はツーリングでもサイクリングでも、晴天に恵まれている。
シュトラウス:ドン・キホーテ(ユージン・オーマンディ指揮、フィラデルフィア・オーケストラ)を聴きながら