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◆第2回 もったいない ( 16.July.2001)

●イタリア弦楽四重奏団
 2001年6月25日(月) 水沢市文化会館(Zホール)
 中ホール 3500円(F列14番)

 やたらと空席の目立つコンサートだった。演奏内容については後述するとして、まずこのことが気になった。もうひとつ気になったことがある。楽章間に拍手が起こったことだ。
 この日演奏されたドニゼッティの弦楽四重奏曲第七番は、四楽章からなる曲だった。これは四つの楽章でひとつの曲なわけで、すべての楽章が終わってから拍手をするのが一般的だ。ちなみに、僕は十代の半ば頃からクラシンクのコンサートを聴いてきたが、楽章間の拍手は初めての経験だった(間違って拍手した例を除く)。つまり、三十年前の岩手県民会館のコンサートでも楽章間の拍手はなかった(ただし、六十年代のソ連でのライヴ録音を聴くかぎりでは楽章間に盛大な拍手があるし、アメリカでも四十年ほど前までは楽章間の拍手が当たり前だったらしい)。イタリア弦楽四重奏団の四人は楽章間の拍手に面食らっていたものの、拍手を止めようとしなかったのは偉いと思う(ところで、僕は楽章間に拍手があってもいいという少数派です。だって、ジャズでは演奏中に拍手するのが当たり前だし、バレエだってソロの後は拍手を求めるでしょう。もっとも、僕も実際には心の中でしか拍手はしませんけど)。
 ここでホールのあり方をちょっと考えてみたい。
 地方都市の立派なホールについては「こんな田舎にもったいない」とか「無駄だ」と批判する方が少なくない。これは「田舎の連中に音楽(クラシック)がわかるわけがない」と暗に言っているようなものだし、「田舎の人は音楽を楽しむ必要はない」と言っているのと同じだ。つまり、大変失礼なのである。
 しかし、きっぱりと「なんて失礼な」と言いきれない事情も確かにある。
 久慈アンバーホールのギドン・クレーメル公演でも空席が目立った。人口が少ないのだから仕方がない、というかもしれない。しかし、それなら、なぜ人口の少ないところにそんな大きなホールが必要なのか。
 大急ぎでお断りしておくが、「地方都市にホールはいらない」と主張しようというのではない。また、コンサートは満席であるべきだなどと言いたいわけでもない。素晴らしいコンサートなのに空席があったことが残念でならないのだ。
 肝心なのはホール運営の基本姿勢である。クラシックの楽しみ方をひろめる講習会や演奏会などをホールが中心になって継続的に行なっていれば、ギドン・クレーメルもイタリア弦楽四重奏団も満席になっただろうし、楽章間で拍手が起こることもなかっただろう。クラシック・コンサートに客が入らないのは、人口が少ないからではなく、クラシックの楽しみを伝えようとしてこなかったからだ。難しいことではない。久慈にも水沢にも熱心なクラシック・ファンがいるはずだ。そういう方たちに中心になってもらって、定期的にクラシックを楽しむ会をひらくだけで、状況は変わると思う。そして、そういう活動が、ホールを地元に密着したものにする。要するに、ホールは市民にもっと解放されるべきだ。ホールはホール職員のものではなく、その土地の人々のものである。こんな当たり前のことを書かなければならないのはちょっと情けないが、これは逆説的に言うなら「地元の人々がいらないと思っているホールなら潰してしまいなさい」という意味でもある。ホールがもったいないのではない。ホールの使い方がもったいないのだ。
 演奏について述べるスペースがなくなってしまった。
 この日のプログラムは。

 ドニゼッティ:弦楽四重奏曲第七番へ短調
 ヴィオッティ:弦楽四重奏曲ヘ長調

          休息

 プッチーニ:菊
 ヴェルディ:弦楽四重奏ホ短調

 長谷川武久氏(音楽評論家)の解説付きだった。この点は高く評価したい。楽章間の拍手について長谷川氏は「素晴らしい演奏なので、私も拍手をしたかったが、それをこらえて四楽章が終わったところで拍手しました」とお話しされた。Zホールが開館した十年前からこういう方をお招きしていれば、空席も楽章間の拍手もなかっただろうに。
 演奏は旧イタリア弦楽四重奏団の響きにひじょうによく似ていた(じかに教えを受けて名前を受け継いだのだから当然か)。先月聴いたヴェネツィア室内合奏団とは同じイタリアの楽団とは思えないほど異なる資質で、ヴァイオリン一本の音からして違う。ヴェネツィア室内合奏団が「光」とすればイタリア弦楽四重奏団は「陰」といったところか。この日の演奏を聞き逃した人々に「もったいないことをしましたね」と僕は言いたい。それほどいい演奏、いや、いい悪いを超えて、しかもクラシックという枠も超えて、心に染みる音楽だった。今回、イタリア弦楽四重奏団は東京でコンサートを行なわなかったから、知人の渡辺和氏(室内楽に造詣が深い音楽評論家)に「珍しいプログラムで僕も生で聴くのは初めての曲ばかり。とても素晴らしかったですよ」と伝えると、「岩手の人がうらやましい」とおっしゃっていた。
 余韻を味わいつつ駐車場に向かうと、明かりがついてなく(照明設備はあるのに点灯していない)、真っ暗だった。Zホールは利用客のことをもう少し考えてもいい。