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◆第7回 ふるさとを知る ( 25.september.2001)

●盛岡夜学第12回
文化地層研究会・盛岡ゆべし学会ジョイントプロジェクト
『城下盛岡旧町名・べんじぇもの探究地図』制作発表懇談会
講師:高橋サトシ(文化地層研究会代表)
QOLネットワーク 盛岡夜学実行委員会主催

2001年9月14日(金)18:30〜21:30(プラザおでって 特別会議室)
一般1000円(大学生以下200円)
*資料、「盛岡ゆべし学会」推奨郷土菓子付き

 4月から盛岡で再び暮らしはじめ、半年が過ぎた。この間に、チャグチャグ馬コのヒキコ(馬の引手)として滝沢村から盛岡までの14キロを歩いたり、北上川ゴムボート川下りに参加して7キロに及ぶ川の旅を楽しんだり、盛岡七夕祭りに審査委員長として招かれるなど、ふるさとの催しに関わってきた。これらの経験を通して「ふるさとのことを知っているつもりだったけれども、知らないことのほうが多かったんだなあ」と認識を改めさせられた。
 さらに付け加えると、およそ13年振りに盛岡のお盆や秋祭りを過ごして、この街に何とも言えない情感と哀愁が満ちているのを感じた。これは歴史あるいは伝統に支えられた文化が浸透していることの証だと思う。
 一方で、盛岡とその周辺の様相は、激しい勢いで変わりつつある。老舗の店が消えていくかと思えば、あちこちにマンションが建ち(僕もマンション暮らしだが)、新しい道や新しい橋ができたのを知らずにいて道に迷ったりするなど、とまどうことも少なくない。
 そうこうしているうちに(というのも妙な言い方だが)、ふるさとのことをもっとよく知りたい、という思いが強くなってきた。そんな折りに「盛岡ゆべし学会」のことを知った。詳しいことはホームページ(http://www.isop.ne.jp/fq/yubeshi/)をご覧いただくとして、要するに「ゆべし」の歴史を研究している集まりである。まあ、半ば遊びと言っていいだろう。ただし、「遊び」と言っても、「遊戯」とは質が違う。真剣に遊んでいるのだ。テレビゲームを真剣にやっても時間を浪費するにすぎないが、「ゆべし」という一見どうでもいいようなものをしつこく深く探究することによって見えてくるものがある。「ゆべし」という切り口で、我々の来し方を知ることができるのである。僕が「ゆべし学会」に興味と好感を持ったのは、「知ること」と「慈しむこと」が表裏一体をなしているからだ。司馬遼太郎ならここで「それが文化を育むのである」と結ぶのではないか。
 さて、僕が知りたいふるさとのことのひとつに盛岡市内の古い町名がある。50代以上の人たちの会話には「三戸町(さんのへちょう)」とか「馬町(うままち)」といった町名が出てくることが珍しくないが、これらは現在はない。それぞれ、本町通3丁目、南大通2丁目となっている。何とも味気ないし、住んでいる我々にもわかりにくい。町名の大変更があったのはもう三十年近くも前だというのにいまだに馴染めない。歴史も文化も無視した町名変更だったのだから、当然だろう。
 旧町名はバス停に残っていたり、タクシーなどの職業ドライバーが習慣的に使ってきたので今もときおり耳にする。通りのあちこちに、旧町名とその由来を記した立て看板が、盛岡市観光課によって設置されてもいる。それでも、世代交代という時間の流れには勝てず、旧町名は人々の記憶から消えつつある。というか、僕も正直なところ、どこからどこまでが「油町(あぶらちょう)」なのか、「花屋町(はなやちょう)」との境はどこなのか(いずれも現在は使われていない旧町名)ということになると皆目わからない。旧町名と現在の地名が記載された地図がほしいなあ、と思っていたら、なんと独力でそれをつくった人がいました。そのお披露目の場となった盛岡夜学に参加してきた。
 その地図は『城下盛岡旧町名・べんじぇもの探究地図』が正式名称だ。これを作った高橋サトシ氏(もりおか歴史の記憶探究館 http://www2u.biglobe.ne.jp/~taka-34/参照)は〈私は生まれてからずっと盛岡に住んでいますが、旧町名を言われてもわからない場所が多々ありました。手元にある各種の地図を広げてみると、それらのほとんどはその当時の地名のみが表記されているものでした。そこで、私は時代の範囲を広くとることにより、今まで一般的には出回っていない内容の地図を作ることができるのではないかと考えました。さらに加えて「盛岡ゆべし学会」のみなさんの協力を得、盛岡名物「べんじぇもの」のお店の位置も地図上で紹介することができました。〉と語っている(第12回盛岡夜学パンフレットより)。ちなみに、「べんじぇもの」とは「べんざいもの」が訛った言葉で「ゆべし」などを指す。
 会場でこれを手にとったときの参加者の反応が面白かった。まず息を飲み(したがって、妙に静まりかえる)→あちこちから唸り声が上がり(これは、これは)→やがて溜息が聞かれ(いや、大したものだ)→嵐のような拍手が起こった。
 実際、大変な労作であり、見事な地図である。しかも、高橋サトシさんはこれで一儲けしようなどとは微塵も思ってなくて、寄付を募って印刷代にあて、無料で配布することを考えていらっしゃる(近々実現すると思うのでお楽しみに)。
 もともと、町名変更は郵政省の求めで実施されたと記憶している。郵便番号制を導入するに際して、効率化を図るために必要な処置だったらしい。ところが、郵便番号が七桁になり、コンピュータ処理も飛躍的に進んだおかげで、町名を変更したメリットがなくなった。金沢をはじめ、全国的に旧町名が復活している背景にはそういう事情があるようだ。
 それはともかく、多くの市民がこの地図を手に盛岡を歩き、ふだんも旧町名を使うようになれば「〇〇通〇丁目」という町名は有名無実となるだろう。
 これを反社会的と見るか、郷土愛と見るか。

(なお、盛岡夜学を主催するQOLネットワークについてはホームページhttp://qol.soc.or.jp/を参照してください)