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◆第8回 音楽映画を観る ( 8.October.2001)

●久石譲監督作品『カルテット』
(10月6日から盛岡フォーラム2にて上映)

 この映画を撮った久石譲監督は、改めて紹介するまでもなく『風の谷のナウシカ』、『となりのトトロ』、『HANA−BI』、『キッズ・リターン』などの映画音楽を担当した作曲家だ。映画はもちろん、その音楽も大ヒットした。しかし、だからといって映画監督としても成功するとは限らない。という意地悪な見方で試写会に臨んだ。
 結論から書く。
 これは名作です。僕はこの映画で久々に気持ちのいい感動を味わった。我が国の音楽映画の金字塔と言っていいだろう。
 欧米には「音楽映画」の伝統があって、ここ十年ほどのあいだにも『愛を弾く女』(1992年/クロード・ソーテ監督)、『無伴奏 シャコンヌ』(1994年/シャルリー・ヴァン・ダム監督)、『ブラス』(1996年/マーク・ハーマン監督)、『レッド・ヴァイオリン』(1998年/フランソワ・ジラール監督)などの作品がある。これに『ディーヴァ』(1981年/ジャン−ジャック・ベネックス監督)を加えても抗議はこないだろう。以上はクラシックの音楽映画だが、ロックやジャズの音楽映画に目を向ければ、これはもう大変な数になる。
 日本にも音楽映画がなかったわけではないが、どうも下手なんですね。演奏シーンにリアリティがなかったり、使われるオリジナル音楽が陳腐だったり、やたらメロドラマと化していたり。音楽以外の物語に振り回されて、音楽映画なのに音楽が「添え物」でしかなくなっている場合が多い。これらは要するに監督が音楽を理解していないせいだ。やはり音楽をわかっている監督じゃないと、いい音楽映画はつくれない。
 ここに列挙した欠点がまったくないのが『カルテット』という作品なのだ。音楽がいいのは当たり前といえば当たり前なのだが、音楽好きならニヤリとする仕掛けが随所にあって、この映画を垢抜けたものにしている。恋愛を下手にからませて、ぐちゃぐちゃにしていないのもいい。映画をつくる側としては恋愛をからませたほうが、観客を引く吸引力になるから楽なのだが、あえてその道を避けた久石監督に拍手を送りたい。
 僕はこの映画を見ながら、自分の青春時代を悔いていた。何かに全身全霊を傾けて打ち込むということを僕はしてこなかった。そのツケが今になってまわってきているような気がしている。
 こんなふうに自分自身と重ねあわせて映画を観たことなんて、ずいぶん久しぶりだった。それだけ、この映画が強いものを持っているのだろう。
 あるいは、「渚で弦楽器を弾くなんてことはありえない」とか「雨の日に傘もささずにヴァイオリンケースを濡らすなんてことは絶対にない」などとおっしゃる方がいるかもしれない。けれども、久石監督はそれらを充分に承知のうえで、映像美を優先させたのである。
 僕はメインテーマに使われている弦楽四重奏曲が、弦楽四重奏曲としては各楽器のバランスが悪いかな、と思ったが(これがヴァイオリン協奏曲というなら頷ける)、これも承知のうえのことで(なぜなら、他の曲ではみごとな弦楽アンサンブルを書いている)、覚えやすいメロディを優先させた結果なのである。
 それにしても、暴力も特撮もなく、有名なタレントが出ているわけでもない。ただひたすら音楽と向き合っている四人の若者を描いた映画だ。それでいて、ちゃんと人間を見据えている。こういうまっとうな映画がまだあるのだ。そのことにも感激した。
 僕は処女作『テニス、そして殺人者のタンゴ』から『百万ドルの幻聴』(新潮文庫)や『夜の森番たち』(双葉文庫)などまで、再出発をテーマにした小説を書いてきた。この映画も再出発がテーマだ。そんなところもフィットしたのかもしれない。好きな映画が一本増えた。近頃なかったことだけに嬉しい。
 なお、この映画には盛岡が出てくる。どういう形で出てくるか、それは観てのお楽しみ。