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◆第17回 戦争絵画を見る( 11.February.2002)

●「未完の世紀:20世紀美術がのこすもの」
  2002年1月16日−3月10日  東京国立近代美術館
  一般 830(680)円  高校・大学生 450(330)円  小・中学生 330(180)円

 東京国立近代美術館がリニューアルした(ちなみに1969年にこの建物を寄贈したのはブリジストン美術館と石橋美術館の二つの私設美術館を設立した故石橋正二郎氏である)。その記念企画展を見るために、およそ三年ぶりに玄関をくぐった(改装のために2年半ばかり閉館していた)。
 企画展のあらましを国立近代美術館ホームページのあいさつから引用する。

 「1階から4階まで全館をもちいて開かれる本展覧会は、この百年の美術を、重要文化財11点を含む日本画・洋画・彫刻・版画・写真・工芸など380余点によって振り返るものです。全体は社会の動きや時代背景を幅広く視野におさめながら、世紀初頭から現代まで、8つの章(テーマ)によって構成しました。一つ一つがゆるやかなグループとしてのまとまりをなすこれらの8章によって、20世紀という時代とその美術の持つ、多面性ということばでは言い尽くせないほどの多面性を浮き上がらせようと試みます。「未完の世紀」とはすなわち、“20世紀は終わっていない”というメッセージでもあります。わたしたちは、20世紀美術からどんな生きた遺産を受け継ぎ、どんな創造的エネルギーを引き出せるのでしょうか。」

 というわけで、とても大きな展覧会だ。380点もの作品を子細に見てまわることは僕にはできない。いつものように興味のある分野のものを見てきた。今回、僕が最も見たかったのは戦争絵画だった。
 戦争絵画とは日中戦争勃発のあたりから太平洋戦争終結までの時期に、主に軍部の要請で描かれた戦争記録画のことを指す。もちろん、これは戦意高揚が目的であり、戦争絵画は「聖戦美術展」などで巡回展示された。戦後、戦争絵画を描いた画家が戦争協力者として、批判されることになる。だが、結果を述べるならば、戦犯とされた画家はいない。戦争絵画は軍の所有物だったので、戦利品としてアメリカが没収したが、昭和30年代に「永久貸与」という形で返還され、国立近代美術館が管理している。
 戦争絵画を描いた画家=戦争協力者という図式は今日も根強く残っていて、とうの画家が亡くなった後でも、家族が戦争絵画の公開を拒むケースが少なくない。ある意味では我が国美術界において、戦争絵画はタブーなのである。しかし、(向井潤吉や橋本八百二のように)戦争絵画もまた自分の画業のひとこまである、と(積極的ではないにしても)公開していた画家もいる。
 国立近代美術館ではこの戦争絵画も公開していく方針だという。
 今回は10点の戦争絵画を見ることができた(このうち3点は同美術館で前に見たことがある)。あえて戦意高揚に直結するような絵を展示していないのかもしれないが、それにしても、日本の戦争絵画は暗い。戦後、戦争絵画を調査したアメリカの担当者が「これは反戦絵画だ」と感想を洩らしたそうだが、僕も同感だ。今回展示されている作品でいえば、「コタ・バル」(中村研一)、「サイパン島同胞臣節を全うす」(藤田嗣治)などは、戦争の悲惨と残酷な現実を描いて圧倒的な迫力がある。戦意高揚どころか逆の効果しかないだろう。藤田には「アッツ玉砕」という、これも同種の作品がある。藤田は戦争協力者と罵られてフランスに帰っていったのだが。
 爆撃で燃え盛る家屋をバケツリレーで消火する女性たち(防空頭巾とモンペ姿だ)を描いた「皇土防衛の軍民防空陣」(鈴木誠)は題名こそ勇ましいものの、やはり戦意が高揚するとは思えない。ここに描かれている女性や子供などすべての人物が、無表情なのだ。しかも、どの人物の目も、静かに不条理を訴えているようにも見える。僕の思いこみが強すぎるだろうか。みなさんの考えもうかがいたいので、ぜひご覧いただきたい。

  戦争絵画についてはまだ論議が尽くされていないように思う。何かうやむやなまま、21世紀を迎えてしまったのだ。このことからも20世紀はまだ終わっていないと言うことができるだろう。
 なお、戦争記録画は日本だけのものではないし、過去の話でもない。たとえば、アメリカでは湾岸戦争の際にも画家を派遣し、作品を買い上げている。

 リニューアル前の当美術館では、松本竣介と萬鉄五郎が同じフロアに展示されていた。また、ときおり橋本八百二の作品が別のフロアに展示されることもあり、誇らしい気分で美術館を後にしたものだ。周知のとおり、3人とも「岩手の画家」だ。もちろん、今回も萬の作品(岩手県立美術館所蔵の作品も貸し出されていた)と竣介の作品は展示されていた。日本の20世紀美術に岩手の画家が残した足跡が再確認できた。しかし、具象彫刻の大きな牽引役を果たしてきた舟越保武氏(竣介とも交流があった)の作品が展示されていなかった。残念な思いが胸にあった。氏の「原の城」は僕に彫刻を見る心を教えてくれた作品だ。五日、氏の訃報がもたらされた。ご冥福をお祈りする。

◆このごろの斎藤純

〇上記の他に、東京文化会館小ホールで古典四重奏団によるレクチャーコンサート「ハーモニーの秘密」を聴き、横浜美術館の「チャルトリスキ・コレクション展」(レオナルド・ダ・ヴィンチの「白貂を抱く貴婦人」やショパン自筆楽譜など)に行った。
〇今年最初の(社)日本推理作家協会理事会があった。目下の最大検討課題は図書館による本の貸し出しだ。現在、図書館は「貸本業者」と化しつつある。稼働率を高めないと予算が削られるという悪習慣のため、首都圏の図書館ではベストセラー作品を数十冊も購入し、のべ10万人以上に貸し出している場合さえある。(社)日本推理作家協会ではこれが著作権の侵害にあたらないか検討しつつ、CDやビデオなどと同じような一定期間の貸し出し制限などの提案をしていきたいと考えている。図書館側は「本の貸し出しは利用者が最も望むサービスである」と主張しているが、図書館にあって当然というべき本(たとえば第二版が出た小学館の「日本語大辞典」)が揃えられていなかったりするのはおかしい。これは作家と図書館という二元的な問題ではない。図書館はみんなの施設なのだから、みんなで考えていく必要があると思う。
〇昨秋、胃に浅い潰瘍が見つかったが、再検査したところ治癒していた。どうやら酒 で退治してしまったらしい。快気祝いというわけではないのだが、中学の同窓生と集 まった。県庁、市役所、小岩井農場、手づくり村、家業の跡取りなど職業も環境もば らばらなのに、昔の仲間というのは(お互いの恥ずかしい過去を知っているせいか) 気持ちが通じ合うものだ。

フォーレ:レクイエム/コルボ指揮・ベルン交響楽団を聴きながら