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◆第19回 記録映画を観る( 11.march.2002)

●第4回「明解!かぐら講座 入門編」映画『早池峰の神楽』上映会
 
3月2日(土)プラザおでってホール 入場無料

 3月1日はとても暖かだったので、今年最初のツーリングをした。宮守村までの短い距離だったものの、たっぷり二カ月以上もオートバイから遠ざかっていたから、ヘルメットの内側でにやけっぱなしだった。帰路、いつものように大迫町の「五代目醤油屋」に寄った。先代が醤油屋さんだったのでこの名を冠しているが、ここは蕎麦屋だ(ラーメンもおいしい)。店に入ると、かぐら応援隊の北口まゆ子代表と飯坂真紀さんらがいた(昨年末にはここで姫神の星吉昭さんとばったり会っている)。
 これから『早池峰の神楽』のフィルムを借りにいくところだと聞いて、月日の経つ早さに驚いた。『早池峰の神楽』という幻の記録映画があり、その上映会を盛岡で行ないたいという相談をかぐら応援隊から受けたのが去年の秋だったのだ。

 結論から言うと、僕は何にもする必要がなかった。全4回に及ぶ「明解!かぐら講座 入門編」の企画立案から実施まで、かぐら応援隊がみごとにやってのけた。岩手日報などですでに報道されたとおり、過去3回の「かぐら講座」は予想を遥かに超える盛況ぶりだった。大迫町のみなさんやプラザおでって(市民からのアイデアを募集し、それをサポートする〈プラザおでって市民企画〉のひとつとして実施された)をはじめとする多くの方の理解と協力があったから実現したのは言うまでもない。でも、やはり結局のところはかぐら応援隊の情熱と執念が実ったのだと思う。上映会の入場者も200名を超え、地元の文化に対する関心の高さを改めて認識させられた。早池峰神楽(正しくは岳神楽と大償神楽と記すべきなのだが)の人気については人づてに聞いていたが、これほど凄いとは思っていなかった。
 いや、人気というと語弊があるかもしれない。カメラやビデオを手に押しよせてくる観光客とは、立場も考え方も違うのは明らかだ。
 大袈裟なことを言うようだが、高度成長期の過程で多くのものを失ったことを僕たちは知っている。そして、バブル経済が破綻し、長い不況がつづいている現在、僕たちは真の意味での心の拠り所を模索していると言っていい。郷土に古くから伝わる神楽のような芸能にそれを見出すのは、ある意味で必然の帰結でもある。
 オートバイで東北各地、信州、北陸、飛騨、九州などの山村を訪れて知ったのだが、決して豊かだったとは思えない土地に、いわゆる郷土芸能と呼ばれる祭事が根強く残っている。その濃く、深い文化を切り捨てることを日本という国は進めてきた(ひとつの文化圏を丸ごと沈めるダムに象徴される)。話は飛躍するが、政府は何とかして消費の増大を図ってデフレを切り抜け、不況を脱出しようとしている。愚かなことである。今、僕たちが必要としているのは大量消費ではなく、精神の充足なのだ(「心の豊かさ」といえばわかりいいのですが、この語はあまりに安易に使われ、手垢にまみれていて、もはや意味を失いつつある。哀しいことだ)。しかし、数の論理だけで生きている政治家にこの理解を求めるのは無理な相談なのだろうか。

 『早池峰の神楽』には南部葉煙草(口が荒れないので女郎に好まれたというナレーションが心に響いた。おそらく、東北出身のお女郎さんたちが古里を思いながら喫ったのではないか)の収穫、林業(自然林でブナを伐採するシーンがあった)、盛岡と東京での大迫町物産展のもようなどを見ることができる。ひとつひとつの場面が、さまざまな思いを呼び起こす。
 もちろん、記録された神楽そのものも今となっては貴重なものかと思う。すでに亡くなられた名手による舞いも、この映画は記録している。
 こんにちの早池峰神楽人気の火付け役となったのが、『早池峰の賦』という記録映画だった。今回、盛岡で初公開となった記録映画『早池峰の神楽』について、かぐら応援隊の滝沢真喜子さんがまとめた文章があるので掲載させていただく。なお、この講座は「初級編」と銘打っているから、次は中級編があるに違いない。今から楽しみだ。

3本の映画〜「早池峰の賦」が生まれた背景

 昭和51年、大迫町に伝わる「岳」と「大償」の二つの神楽が国の重要無形文化財第1号に認定された。一部では高い評価を得ていたものの、時代の価値観の変化の中で、この芸能が改めて見直され、多くの人々の注目を集めるようになったのは、国の指定もさることながら羽田澄子さん監督の映画「早池峰の賦」によるところが大きい。
 羽田澄子さんが早池峰神楽と出会ったのは昭和39年。偶然目にした新聞記事が縁で、大償神楽の東京公演を見たのが始まりである。早池峰神楽に心を奪われた羽田さんは、翌、昭和40年、初めて大迫町を訪れ、茅葺屋根の家が点在する農村風景の中、神楽本来の姿に触れ「いつか神楽の映画を作りたい」と決意する。この時、とりわけ羽田さんの心を魅了したのは、南部曲り屋の薄暗い土間で舞われる「権現舞」であったという。
 そして昭和54年、幾多の障害をクリアし、ようやく映画の製作が実現。羽田さんが早池峰神楽と出会ってから実に15年目のことであった。映画の撮影は、期せずして伊藤重太郎さんの曲り屋の解体シーンからスタートした。ここは羽田さんが権現舞のシーンを撮影をしたいと願っていた場所でもあったのは、偶然とはいえ、象徴的である。
 羽田さんは変貌を遂げる農村の姿から目をそむけることなく、高度経済成長の中で移ろいゆく農村の暮らしと、その中で伝承されていく神楽の姿を克明にフィルムに納めていく。
 岳と大償の二つの神楽の由来と関係。笛や面の作り方。神楽を舞う人々の暮らし、そして家族たち。春の山開き、早池峰神社の例祭、新年の様子…。佐々木隆さん(現・大償神楽保存会長)や伊藤金人さん(岳神楽)をはじめ、現在、神楽衆として活躍しているみなさんはもちろん、小国誠吉さんや佐々木金重さんら今は亡き神楽衆のありし日の姿もある。
 こうして羽田さんが撮影したフィルムは、まず52分の「早池峰神楽の里」として完成を見た。その中に収めきれなかった数々のシーンをもとに作られたのが、今回上映する3時間15分の「早池峰の神楽」だ。そして、この「早池峰の神楽」を10分ほど短縮した映画が、昭和57年に公開され大反響を呼んだあの「早池峰の賦」なのである。
 そして今回、盛岡で初めてこの「早池峰の神楽」公開が実現できたのは、大迫町の皆さんをはじめ、多くの方々のご協力によるものである。心から感謝申し上げたい。

かぐら応援隊・滝沢真喜子
製作:工藤充
脚本・監督:羽田澄子
撮影:西尾清、瀬川順一、若林洋光、西山東男、田代啓史、内藤雅行、下平元巳、千葉寛
照明:藤来義門、宗田武久、渡辺勝利
録音:久保田幸雄、滝沢修
音楽監督:秋山邦晴
ナレーター:大方ひさ子
1982/カラー/16ミリ/186分/英語字幕

撮影の故瀬川順一氏(ドキュメンタリー映画の重鎮だった)、録音の滝沢修氏は岩手県出身。滝沢氏は行定勲監督作品『ひまわり』の撮影もつとめる。行定監督は第3回みちのく国際ミステリー映画祭で新人監督奨励賞を受賞している。

◆このごろの斎藤純

〇花粉症対策も兼ねて、マイナス・イオンを発生させる空気清浄機を入手した。パソコンに向かっているとプラス・イオンを浴びるわけだから、これで中和されるはずだ。ただし、残念ながら劇的な変化は感じられない。
〇2月24日水沢市Zホール「国際音楽祭」を聴きに行った。毎月一回はこれくらいの室内楽を聴きたいものだが。

ベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタ へ長調作品5/ギドン・クレーメル&マルタ・アルゲリッチを聴きながら