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◆第21回 水墨画を観て考えたこと(8.april.2002)

〇出光美術館開館35周年記念 長谷川等伯 国宝松林図屏風展

 もう何年前になるだろうか。信州をオートバイで旅しながら、美術館をまわって歩いたときのことだ。あるキャンプ場で、早朝、朝もやに包まれた山々を見て「これは水墨画の世界だな」と思った。太陽が昇る前のことで、その風景に色はなく、モノクロームだった。
 水墨画が好きで、機会があると観るようにしている(機会があると、とわざわざ断ったのは、もしかすると印象派の絵画よりも観る機会が少ないからだ)。水墨画は水と墨で描かれる。当然、モノクロームの絵になる。我々はふだん(僕が経験したキャンプ場での朝など特別な例を除いて)景色をカラーで見ている。水墨画はそのカラーの世界を、墨の濃淡だけで描く。だから、画家(絵師といったほうがいいのかもしれない)は、実際の風景を心の中で再構築したものを描くことになる。しばしば、きわめて抽象的な絵画表現になるのはそのせいだ。その結果、水墨画には精神性があらわれるといわれる。
 中国から禅宗と一緒に渡ってきた水墨画は、禅の精神を描くことを目的としていたし、描くという行為もまた修行のひとつとして機能していたようだ。だから、高名な絵師とは、すなわち禅宗の僧侶でもある。
 最近は「何でもかんでも禅に結びつけず、純粋に絵として水墨画を楽しもう」という見方もあるけれど、オールドマスターズ(18世紀以前の西洋絵画)を鑑賞するのにキリスト教あるいは聖書の理解が不可欠なのと同様、最低限の知識として禅宗を知っているのと知らないのとでは、描かれた濃淡の図柄しか観ないことになる。水墨画は描かれたものの向こう側、つまり、描かれていないものを観る芸術と言っていい。
 その意味では、モネの晩年の睡蓮の連作は、どこか水墨画に通じるものがあるように思えてならない。モネにとって睡蓮は、どうでもよかった(と言っては語弊があるが)。モネは睡蓮を通して、ただ自己の内面を描こうとしたのではなかったか。だから、山水画(水墨の風景画のことです)と同様、抽象に向かった(もちろん、これは素人考えです)。

 僕が絵に目覚めた(というか最初に好きになった)のは、ピカソ、マティス、ブラック、デュフィなどからだった。つまり、印象派以降だ。それが印象派に行き、さらにバロックにまで今は興味がさかのぼっている。それはともかく、水墨画(風景を描いた山水画)に惹かれるようになったのは、印象派をたくさん観て、風景画の面白さを知ってからのことだった。出光美術館で見た長谷川等伯の「松林図屏風」から僕はターナーを連想した。時代で言えば、等伯は桃山時代だから今から400年前の人、ターナーは19世紀の人だから大きな隔たりがある。ターナーは蒸気機関車を画題にした画家だから、桃山時代の画家よりはずっと親しみが持てる。
 ところが、等伯の「松林図屏風」はそんな大昔の絵であるにもかかわらず、ちっとも古くない(等伯の作品すべてがそういうわけではない。虎を描いた絵などは、いかにも骨董然としている)。
 今回は等伯や雪舟らが手本とした牧谿作とされる「平沙落鴈図」、玉澗の「山市晴嵐図」も展示されていた。等伯は(ターナーをもっとぼんやりとさせたような)「平沙落鴈図」を理想としたという。僕は雪舟の「破墨山水図」に通じる「山市晴嵐図」の前でだいぶ時間を過ごしてしまった。
 水墨画には合理的な遠近法がない。空気遠近法といって、基本的には遠くのものは薄く、近くのものは濃く描いて遠近感を出した。明治以降、合理的な遠近法を取り入れた水墨画が描かれるようになり、また一気呵成に描き上げる「山市晴嵐図」や「破墨山水図」のような作品は描かれなくなった。こつこつと墨を重ねていく現代の水墨画を観ると「ご苦労なことで」と思うが、等伯や雪舟の精神性、すなわち描かれた絵の向こう側にある世界は見せてくれない。

 ところで、出光美術館は日比谷の一等地にある。東京で勤め人だった頃、仕事をサボるときによく利用させてもらった。だから、というわけではないが、好きな美術館だ。
 地方都市では、とんでもない田舎に立派な美術館を建てているが、山を崩して美術館をつくるのは芸術を理解していない人のやることで愚かしい。ニューヨークでもパリでもロンドンでも大きな美術館は中心街にある。美術館は都会のオアシスなのだ。

◆このごろの斎藤純

〇話題作の『ザ・ロード・オブ・ザ・リング』を観た。途中でもう出ようかなと何度か思ったが、我慢して観終えた。でも、大ヒットしているということは、みんな面白いと思って観ているのだろう。僕はもう感覚が古くなったようだ。
〇高橋克彦氏の出版100冊と放送文化賞受賞を祝う集まりがあった。100冊というのはなかなかできることではない。それだけ注文があり、注文にちゃんと応じられる小説家だからこそ達成できたことだ。近年では北方謙三氏が100冊を達成している。僕はどう頑張っても生涯に50〜60冊がいいところだ(現在は文庫を除いて21冊だ)。もちろん、数が多ければいいというものではない。北方氏や克彦氏の業績を見れば、数だけの問題ではないことは明白だろう。
〇花粉症が猛威をふるっている。無計画な拡大造林のツケがまわってきているのだが、僕はこれを自然からの復讐だと思っている。目先のことにとらわれていると、後世、どんなしっぺ返しを食うことになるか。そのことに、もうそろそろ気がついてもいいはずだ。

武満徹「ランドスケープI−弦楽四重奏のための」を聴きながら