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◆第22回 残すべきもの(22.april.2002)

〇「八幡町の番屋を考える集い」
日時:2002年4月13日(土)14:00〜15:30
場所:南昌荘 参加費無料(入園料200円を各自負担)

 八幡町の番屋が取り壊されることになった。テレビのニュースで室内のようすが紹介されたが、確かに老朽化が進んでいて、実用には適さないことがわかる。一般の家屋と違い、番屋は地域の消防にかかわる施設だから、これでは困るだろう。取り壊しも止むを得まいと思う。
 だが、一方で「古いからといって、そんなに簡単に壊してしまっていいものだろうか」と思わないでもない。というのも、八幡町の番屋のような古い建物は、それがあることによって我々の来し方、つまり歴史と文化を知る手がかりになる。これは要するに地表にあらわれた地層なようなものだ(我々は地層によって地球の歴史を知ることができる)。したがって、無闇に「破壊」していいというものではない。

 建築家の伊山治男さん(写真集『この角を曲がれば』などで知られる写真家でもある)らが中心になって、八幡町の番屋を残す保存運動がたちあがった。そのとっかかりとして、八幡町の番屋についての勉強会がひらかれた。自然保護と同じで、まず実態を知ることからすべては始まる。番屋について調査研究している渡辺敏男先生(岩手大学)から、建物の現状についてスライドを用いて説明があった。あちこちにずいぶん手が入っている。無理な改造をした箇所も少なくないようだ。しかし、渡辺先生によると、元の状態に復元できる範囲の改造だという。
 調査の結果、八幡町の番屋は紺屋町の番屋(保存建造物)よりも古い建物であり(紺屋町の番屋は大正2年、八幡町の番屋は推定明治14年)、しかも紺屋町の洋風建築様式の番屋とは様式が違うということも明らかになった。町屋建築に望楼をのせた八幡町の番屋は、全国的に見ても貴重な建物なのである。取り壊しを決定した人々、それに賛同した人々は、おそらくこの事実を知らなかったに違いない。
 「保存運動は取り壊しが決まってから始まるものです。もう手遅れ、と思ったときが、始まりなんです」という伊山さんのお話しを伺いながら、自然保護との共通点がたくさんあることに気がついた。自然保護の場合でも、まず知ること、知ってもらうことが大切だ。原生林の存在意味は計り知れないものがある。けれども、たとえばブナ原生林などは昭和40年代までは「役に立たない森」であり、ブナ林を伐採してスギ、ヒノキの植林地にすることを「ブナ退治」などとも言い、この業績を挙げた人は大いに出世した。今だったら、自然破壊の元締めとして、社会的に糾弾されることは間違いない。無知とはそういうものだ。よく言われるように、文字の文化を持たない人間にとって図書館は、燃料となる紙の山としか認識されないが、我々は図書館の価値を知っている。八幡町の番屋の保存運動も、単なるノスタルジーではないことがこの勉強会によって明確になった。
 この日、望楼を復元した形の番屋の図面が、渡辺先生から示された。古い建物との共存が可能なのだ。しかも、観光資源としての活用も視野に入っている。岩手銀行本店跡、肴町の九十銀行、八幡宮境内などと共に観光スポットとして利用できるわけだ。
 僕はこの日の集いによって蒙が啓かれた。改めて考えてみると、我々は遺跡を発掘して復元保存している。その一方で、残っている古い建物を壊すのは相反する行為と言っていい。八幡町の番屋取り壊しについては、明らかに再考するべきだろう。
 なお、この件に関して詳しくは下記ホームページをご覧いただきたい。
 (http://www2u.biglobe.ne.jp/~taka-34/Machizukuri.htm

◆このごろの斎藤純

〇「問題小説」5月号(徳間書店)に、官能・幻想・音楽を合体させた官幻楽(かんげんがく)小説を書いた。これは年内に一冊の単行本にまとまる予定だが、これまでの僕の小説とは一味も二味も違ったものになっている。「小説新潮」5月号(新潮社)にも「笛を吹く男」という官能小説を書いているので、どういうわけか今月は官能づいた。
〇ようやく時間の余裕ができたので、オートバイであちこち走りまわっている。冬枯れの山を背景に咲く桜、モクレン、沿道のヤマブキがきれいだ。今年、桜は異常に早く開花したが、咲ききらないうちに葉桜になってしまったようだ。

ヴィヴァルディ:四季/チョン・キョンファ(Vn)を聴きながら