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◆第23回 水墨画を観て考えたこと・その2(6.may.2002)

〇雪村展 戦国時代のスーパー・エキセントリック(4/2〜5/12)
渋谷区立松濤美術館 一般当日300円

 雪村は知名度が低い。雪舟と混同されもする。かくいう僕も、雪村をちゃんと観るのは今回が初めてだ。
 雪村は雪舟に私淑していたが(師事はしていない。雪舟が没する前後に雪村は生まれている)、画風は「独自のものだ」と自ら書いている(その出典である「説門弟資伝」は偽書だとされているものの、書かれている内容は雪村をよくあらわしている)。雪舟よりも時代が下っているせいもあるだろうけれど(したがって、中国から入ってきた水墨画が、充分に日本風にこなれてきている)、その作品は自由奔放だ。そのへんの事情を展覧会のテーマ「戦国時代のスーパー・エキセントリック」が端的に語っている。
 つまり、当時(雪村が生きたのは室町時代で、織田信長と同じ頃に亡くなった)、芸術の本拠地は京都を中心とする西国だった。だが、雪村は茨城県に生まれ、福島県で没するまで東国から出なかった。だから、中央画壇と違った作風を展開することができたわけだ。それを監修者の山下裕二氏(明治学院大学教授)は「スーパー・エキセントリック」と表した。
 雪村のスーパー・エキセントリックぶりをここでご覧いただけないのは残念だが、空中浮遊があったり、壺から出てきた龍と対峙したり、鯉にまたがって飛んだりしている。そういう絵も好もしいが、牧谿や玉澗らに想を得た山水画がやはり僕を長く立ち止まらせた。墨と筆を紙の上で自由に遊ばせているうちに風景画になった、というような抽象的な作品だ。墨の濃淡だけで描かれた水墨画は、色がない分だけ、観る側にも自由な発想を促す。僕はそういった山水画をセザンヌやターナーの風景画と共に愛してやまない。

 この展覧会では随所にユニークな点を見ることができた。まず、弟子や後世の画家による模写、それに贋作まで含めて「雪村ウィルスの感染者」と位置づけて紹介している(ふつう、あやしい作品は「伝雪村筆」と区別するものだが)。それと、作品に付けられた解説が面白い。たとえば、「雪村が描く柳には、ほれぼれする。中でも、この絵がいちばんじゃないか」という文章は、他の展覧会ではお目にかかれない類のものだ。これは、山下教授の主観だ。だから、面白いけれども、気をつけなければ、山下教授の見方を押しつけられることになる。それでも、僕はこの解説を楽しんだ。芸術というものは、どうせ主観によらざるを得ないのだ。実際、客観的な振りをして、主観を述べている例がいくらでもある。ならば、いっそのこと本展覧会のように個人名(今回の場合は山下裕二教授)を前面に出したうえで、独自の解説を付けてもらうほうが僕にとっては楽しめるし、ありがたい。

 このあいだ、長谷川等伯を観てきたばかりだし、雪村展と同時期に上野の国立博物館では雪村の心の師匠だった雪舟展が開催されている。そして、同じ敷地内にある国立西洋美術館ではオールドマスターズ(18世紀以前の絵画)の宝庫であるプラド美術館展をやっている。東京から離れて一年が経ち、東京というところは凄いところだなあ、と思う。もっとも、もう暮らしたいとは思わないから、こうして月に一度か二度出かけるのがちょうどいい。
 それにしても、アメリカから借りてきた作品が多かった。しかも、重要な作品がアメリカに渡っている。大学の日本美術史の授業で故楢崎宗重先生が「日本美術を勉強しようと思ったら、アメリカに留学しないとならない」とおっしゃっていた意味がよくわかった。

◆このごろの斎藤純

〇少し前までは冬枯れの景色だった山々も、急に芽吹いてきた。湯田の自然観察指導員の瀬川強さん宅のカタクリ・パーティ(一面のカタクリのなかで食事とお喋りを楽しむ会)に顔を出すと「今年は山が早い」とのこと。カタクリ畑にツキノワグマの糞があった。よく出没するらしいが、悪さはしない。「今日にそなえてスズメバチの巣を除去しようと思ったら、クマが来て持っていってくれた。うちはクマと共存共栄しているんだ」と瀬川さんが笑いながら話してくれた。
〇少し前にオートバイをカワサキW650からBMW・R1150ロードスターに乗り換えた。1万2000キロを走った中古だが、そこはBMWである。ほとんど新車と変わりない。というよりも、BMW乗りにいわせると「本当の調子が出てくるのは1万キロを過ぎてから」だそうだから楽しみだ。ゴールデン・ウィークが明けたら、一緒に組んでいるカメラマンの小原信好氏と中山道ツーリングに出かける予定だ。その前に片付けなければならない原稿と、目下のところ格闘中。
〇電子出版サイトe−novelsで連載していた『音楽を旅する』が最終回を迎えた。これに少し手を入れたものが、年内に河出書房新社から刊行される予定だ。

大栗裕:ヴァイオリン協奏曲(下野竜也指揮・大阪フィルハーモニー交響楽団/ヴァイオリン独奏高木和弘)を聴きながら