トップ > 目と耳のライディング > バックナンバーインデックス > 2002 > 第25回


◆第25回 ピアソラの魂に触れる(3.june.2002)

〇ミルバ《ブエノスアイレスのマリア》
 2002年5月30日(水) アンバーホール(久慈市文化会館)大ホール

 幕がひらいて、バンドネオンの音が響いたとたんに心臓がギュッと掴まれ、身動きできなくなった。拍手さえできない。ミルバが登場し、スキャットが場内を満たす。僕はブエノスアイレスのタンゴの世界にからめ捕られ、酔い、溶けた。

 アストル・ピアソラ(1921−1992)は伝統的なタンゴに、ジャズやクラシックの要素を取り入れ、タンゴを民俗音楽というジャンルから解き放った。しかし(それゆえ、と言うべきか)、タンゴの本場では異端視され、なかなか理解されなかった(僕が『テニス、そして殺人者のタンゴ』でデビューした1988年でさえ、日本ではまだ一部の音楽マニアにしか知られていなかった)。
 といっても、ピアソラの音楽は、タンゴの本質を薄めたものではない。むしろ、タンゴの本質を煮詰めたものだ。タンゴの本質とは、ブエノスアイレスとヨーロッパが混じり、黒い肌と白い肌が混じり、夜更けの裏通りと草原の風が混じり、犯罪と善行が混じったものだ。
 ピアソラ自身によって〈オペラータ(小オペラ)〉と名づけられたこの作品は、タンゴを生んだブエノスアイレスに捧げられた「本能的な贈り物」(アストル・ピアソラと台本を書いたオラシオ・フェレールの言葉)ということだが、これは「タンゴに捧げられたタンゴ」でもある。舞台は「タンゴに捧げられたタンゴ」によって、「死と官能」のトーンに満たされた。
 物語(というにはあまりに抽象的なのだが)はマリアという聖と俗を併せ持ったヒロインの「生と死、そして再生」である。その物語は、タンゴ誕生の背景を連想させる。つまり、マリアとはタンゴの化身なのだ。そのマリアを演じたミルバに圧倒された。パワフルで、凄味があるばかりでなく、女の儚さを全身で演じた。
 ミルバはピアソラと来日しているが(1988年)、僕はそれを見損なっている(一生の不覚だ)。ミルバとピアノソラの共演はCDで残っている。それを愛聴してきただけに、今回のアンバーホールでの公演はとても嬉しかった。長く埋もれていた《ブエノスアイレスのマリア》はミルバがいたからこそ、復活できた。芸術の世界ではこのような奇跡が起きる。奇跡が芸術を生むと言い直してもいい。
 それにしても、この作品をミルバ以外の誰が演じることができるだろうか。ミルバなくして、この作品は成り立たないのではないか。それを認めてしまっては、この作品をまた封じこめることになってしまうとわかってはいるのだが。
 カーテンコールのときに見せたミルバのキュートな素顔が印象的だった。

 この連載を始めてから、一年が過ぎた。奇しくも第1回はギドン・クレーメルがアストル・ピアソラの曲とヴィヴァルディの「四季」を合わせた「エイトシーズンズ」を取り上げている。しかも、ホールも今回と同じアンバーホール。不思議な縁だ。

◆このごろの斎藤純

〇15年前に初めて一眼レフカメラを買って以来、いろいろなカメラを買っては手離すという試行錯誤を繰り返してきた。3年前にデジタル・カメラを入手してからは、めっきりとフィルムを使うカメラの出番がなくなった。それでも、風景写真はフィルムで撮らないと、プリントの出来が違うと思って手元に残していたのだが、とうとうこれも知人のカメラマンに永久貸与することになった。というのも、キャノンのパワーショットG2というデジタル・カメラを買ったからだ。プリントアウトしたら、フィルムの写真とあまり変わりない。技術の進歩とは凄いものだ。カメラ屋がつくったデジカメだけに、随所にアナログ的な仕掛けが残してあって、しかも手応えのある重さだ。限定生産されたブラック仕様を探して手に入れたのだが、この外観もカメラ的で気にいっている。
〇恒例のちゃぐちゃぐ馬こに、今年もヒキコ(馬の引手)として参加し、滝沢村から盛岡まで14キロを歩く。去年、初めて体験したが、馬は僕を仲間だと思うらしく、すぐに打ち溶けあった。行列では沿道から盛んに声をかけられて照れくさかった。小学校から高校までの同級生たちともずいぶん会った。今年はどんな人たちと声を交わすことができるか、それも楽しみだ。

「エル・タンゴ〜ミルバ・ウィズ・ピアソラ」を聴きながら