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◆第26回 チャグチャグ馬コを引いた(17.june.2002)

 盛岡の伝統的なお祭りであるチャグチャグ馬コの行列に参加した。昨年につづいて二度目である。
 昨年、市の観光課から依頼の電話をもらったときは、てっきり馬に乗れるものと思った。
「馬に乗るには市長になってもらわないと」
 電話の向こうから笑い声がした。つまり、馬を引く「ヒキコ」をやらないか、というお話だった。これだって、馬主じゃないと本来はできないことだから、めったにないチャンスだ。喜んで引き受けた。
 滝沢村蒼前神社から盛岡八幡宮まで15キロもの道のりだが、歩きとおせる自信はあった。4年前に立山を一人で縦走する際、10キロのザックを背負って10キロ歩くという練習を重ねた経験がある。そのおかげで無事に完走ならぬ完歩することができた。そもそも、チャグチャグ馬コでは、子供たちやそのお祖父さんも歩くのだから、僕がダウンするようでは恥ずかしい。ただ、衝撃をまったく吸収しない地下足袋で舗装路を歩くため、足の裏や膝がダメージを受けたのは誤算だった。足袋を選ぶときは「ぴったりしたものを選ぶ」ことが鉄則で、昨年はそうしたが、これが失敗だった。途中から足が膨張して窮屈になり、指が痛みだしたのである。だから、今年は1サイズ大きい地下足袋を取り寄せて当日に備えた。

 チャグチャグ馬コは毎年6月15日に行われてきたが、昨年から6月第2週の土曜日になった。調べてみると、昭和32年までは旧暦5月5日に行われていたという。時代と共に開催日も変化しているのだ。観光客にとって土曜日開催が望ましいのは言うまでもない。昨年はいっきに動員数が倍増した。
 6月15日はどういうわけか雨が降らず、「晴れの特異日」と言われてきた。昨年はうまい具合に晴れてくれたが、今年はどうか。雨が降れば、開催日を変更したことが、とやかく言われるに違いない。

 馬の装束は南部藩の大名行列の名残を伝えるもので小荷駄装束という。これに付けられた鈴が「チャグチャグ」と鳴るからチャグチャグ馬コというわけだ。馬1頭につきヒキコ2人、付き添い1人、乗るのは子供1人と決まっている。なにしろ国指定の無形文化財だから、装束についてもこまごまと決まりごとがある。僕は腹がけドンブリに乗馬ズボン、地下足袋をはき、背に「蒼前」と染めぬいた印半纏という姿だ。慣れない格好ではあるけれど、これを身につけると背筋がスッと伸びるような気分がした。実際に馬をコントロールするのは右側のハツナを持つヒキコだ。当然、僕は左側でハツナを持つ。ハツナも赤黄のだんだら模様と決まっている。
 95頭の馬とヒキコたち200名に及ぶ行列は、およそ一キロにもなる。コースは滝沢村蒼前神社を出発後、青山町、材木町、開運橋、中央通り、本町、内丸、中津川、肴町、八幡宮だ。
 さて、6月8日は周知のように好天に恵まれた。予想最高気温30度というのは、真夏の暑さだ。歩く側にしてみれば「ちょっと好天すぎるぜ」と眉をひそめたくもなる。実際、滝沢村を歩いているときは風が爽やかで気持ちよかったが、盛岡市内に入ると日陰もなく、暑さでボウッとなることがあった。
 暑いのは馬も同じだ。しかも、慣れないアスファルトを歩くのだから馬の苦労も大変なものだ。
「俺も頑張るから、おまえも頑張れよ」
 そんなふうに声をかけながら歩いた。これも馬とのコミュニケーションのひとつと言っていいかもしれない。もっとも、馬は「左側のヒキコは頼りねえなあ、もっとしっかりハツナを引いてくれよ」なんて思っていたことだろう。
 今年も凄い人出だった。沿道を埋め尽くした人のなかから僕は何度か名前を呼ばれた。小学校や中学校の同級生だった。
「雫石あねっこ」の衣装を着けた女性たちも観光客の人気の的だが、この日の主役は馬と馬に乗る子供たちだ。適度な揺れ具合と鈴の音が心地いいようで、鞍の上で寝てしまう子供もいる。
「さすが馬の本場だけあって、あの子たちは寝ていても馬から落ちないのだな。いや、大したものだ」
 たいていの観光客がこのように感嘆するのだが、馬が暴れたときの用心のために紐でしっかり結びつけてある。それはそれとして、今までに大きな事故は一度も起きていないのだから、人馬共に大したものである。
 それにしても、小荷駄賃装束と呼ばれる馬の装飾は、一式揃えるのに200万円もかかるという。しかも、この日のために馬を飼育なさっているわけで、保存会の方々の熱意と情熱には頭が下がる。また、実に多くの人々の支えがあって、この伝統行事が守り伝えられている。関係各位はもちろんのこと、沿道に集まって盛り上げてくださった観客のみなさんに改めて感謝と敬意を表したい。
 チャグチャグ馬コは、馬と身近に接することができる祭りだ。沿道の子供たちの馬を見る目の輝きが心に焼きついている。子供と一緒になって大人も存分に楽しんでいた。人々と馬がこれほど親しむ祭りは他にないだろう。目の前で馬が大量の糞をし、おしっこをするのを子供たちは大喜びで見ていた。秋になれば、この子供たちは市内を流れる中津川で、鮭の遡上と最期の姿を見るだろう。これがいかに幸せなことであるか、それを教えるのは大人のつとめだ。

◆このごろの斎藤純

〇桐朋学園の在校生同窓生(一部、賛助出演あり)による岩手県桐朋会の第5回演奏会に行ってきた(6/8・岩手県民会館中ホール)。ピアノとヴァイオリンによるショーソンの《ポエム作品25》から始まるプログラムは聴き応え充分の内容だった。ただ、演奏のレベルは高いが、訴えるものがないので、せっかくの才能を生かしていないような気がした。好みの問題なのかもしれないが、破綻を恐れない演奏をしてもらいたいと思った。「破綻」は芸術の内にあるもので、決して「傷」ではないのだから。そんななかで、スメタナの《ピアノ三重奏曲ト短調・作品15》でピアノを弾いた平井良子さん(岩手大学教育学部音楽科非常勤講師)、ドヴォルジャークの《ピアノ五重奏曲第2番・作品81》でヴィオラを弾いた小野聡さん(福島市出身、NHK交響楽団)のお二人が印象に残った。
〇肩甲骨のあたりの痛みがひどいので整形外科に行ったが、原因がよくわからない。テニスのコーチに教わった鍼治療院に行くと「肉離れでしょう」とのこと。とうぶんのあいだ、テニスを休んで治療に専念することになった。

アメリカ/「名前のない馬」を聴きながら