昨年の11月からヴィオラを習いはじめた(その前におよそ半年間ほどヴァイオリンの手ほどきを受けている)。先生は弦楽合奏団バディヌリを率いるなど熱心な音楽活動をつづけている寺崎巌さんだ(ちなみに、寺崎さんは宮沢賢治研究家として知られる板谷英紀氏のお弟子さんなので、僕は板谷先生の孫弟子ということになる)。その寺崎さんの勧めで、田園室内合奏団の10周年記念公演にトラで参加した。トラというのはエキストラを略した音楽業界用語だが、今回の場合は人数合わせのための飛び入りといった程度に受け取っていいかと思う。
まず、当日の演奏曲目を紹介しよう。
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シベリウス:アンダンテ・フェスティーヴォ |
2. |
ヴィヴァルディ:ヴァイオリン協奏曲「調和の霊感」作品3の9 |
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ソロ・ヴァイオリン 長谷部雅子 |
3.
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ヴィヴァルディ:ヴァイオリン協奏曲「四季」より「夏」 |
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ソロ・ヴァイオリン 長谷部雅子 |
4. |
モーツァルト:セレナード第13番ト長調K525(アイネ・クライネ・ナハトムジーク)第1楽章 |
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長谷川恭一編曲:3つの日本の歌 |
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「七つの子」、「上を向いて歩こう」、「やさしさにつつまれたなら」 |
6. |
シベリウス:交響詩「フィンランディア」 |
指揮は寺崎巌さんである。
少し補足しておくと、3には弦楽合奏団バディヌリのメンバーが加わり、6には管楽器(アンサンブル・アルモニコと盛岡シティ・ブラスの応援を得た)が加わってのフル・オーケストラの演奏である。上記プログラムにはないが、「矢巾町民歌」(鷹觜洋一作曲、長谷川恭一編曲)も管楽器を加えたオーケストラで演奏している。バロック(ヴィヴァルディ)、古典(モーツァルト)、20世紀(シベリウス)そして現代(日本の歌)の名作というプログラムは、クラシック・マニアを自認する方も「ほう」と唸ったのでは。
僕が参加したのは1、2、4の3曲だ。備忘録をひっくりかえして確かめると、今年の2月17日から練習に参加している。当初は技術的に比較的容易な(だからこそ、音楽的には難しいのだが)「アンダンテ・フェスティーヴォ」だけ弾く予定だったが、練習をしていくうちにこういうことになった。そのうち欲が出てきて、3と6も弾きたくなったのだが、ヴィオラ歴半年の新米にそれはあまりに無謀だった。
演奏曲目のうち、2の「調和の霊感」と4の「アイネ・クライネ・ナハトムジーク(これはセレナードと同じ、夜曲といったような意味ですね)」は、昨年の7月27日から3日間にわたって行なわれ、田園室内合奏団も参加した〈平成13年度キャラホール弦楽アンサンブル講習会(主催(財)盛岡市文化振興事業団)〉の課題曲でもある。この講習会には、今回独奏者としてゲスト出演された長谷部雅子さん(東京ゾリステン・コンサートマスター)を講師にお迎えしている。その長谷部さんが「あのときに比べたら、格段に進歩している」とおっしゃっていた。僕もそう思う(弦楽アンサンブル講習会については、本連載のバックナンバー第4回を参照していただきたい)。
指揮者の寺崎さんが田園室内合奏団を丹念にまとめあげていく過程を僕は見てきた。
「そんなに力んだら、弦の音がこのへんでポトポト落ちてしまいますよ。弦の振動を抑えてしまうから、ホールの後ろの席まで弦の響きが届きません。弓の力を抜いてください」
こういう具合に、感覚に訴える注意と実際の技術上の注意をしてくれるので、演奏するほうも理解が早い。寺崎さんは寺崎流の音楽につくりあげるのではなく、最終的には「田園室内合奏団の音楽」を目指している。この試みはみごとに達成された。
この日の圧巻はやはり「フィンランディア」だった。この硬質な音楽に、激しさばかりでなく、温かみを加えることに成功した。しかも、本番の演奏ではある種の「奔放さ」をオーケストラから引き出し、それが我々にカタルシスを与えることにもなった。「矢巾町民歌」と「3つの日本の歌」でひじょうに緻密な編曲をし、ヴィヴァルディの2つの協奏曲ではチェンバロを演奏された長谷川恭一さんも「お世辞抜きで、こんなに凄い演奏を聴けて、感動しています」と目をうるませていた。
僕はモーツァルトでまだ弾きこなせない箇所があったのだが、寺崎さんから「もう指が覚えいますから、指を信頼して弾いてください」とアドバイスを受けていた。本番では今まで弾けなかったフレーズをちゃんと弾くことができた。火事場の馬鹿力というべきか。 自分で楽器を演奏すると、ふだんは外側から聴いている音楽を内側からも聴くことができる。しかし、何よりも「音楽を愛する喜び」を団員たちと共有し、そして、聴きにきてくださったみなさんと分かち合うことができたことに大きな意味がある。また、田園ホールの日頃の活動が「音楽を愛する喜び」をひろげ、「音楽を愛する人たち」を結びつける役割を果たしていることも記しておきたい。矢巾町教育長が田園ホールについて「いい音楽を聴いていただく場であると同時に、町民による音楽活動の拠点になってほしいという願いがあった。田園室内合奏団はその実践です」とお話しになった。この連載の第3回で、ホールのあり方について考えているので参照していただきたいが、田園ホールはその目的をよく果たしていると言っていい。
田園室内合奏団には言うならば「隣近所のお姉さん、お母さん、お父さん、お兄さん」が集まっている。日本ではクラシック音楽が「プロの演奏家だけのもの」と思われがちだが、ヨーロッパの音楽史をひもとけば、田園室内合奏団のようなあり方のほうが長い歴史を持っていることがわかる。この日はブラスバンド部の生徒が招待されていた。将来、田園室内合奏団に管楽器奏者として加入してもらうことを視野に入れての配慮だという。こういう試みによって、田園ホールの活動は着実にひろがりを増していく。素晴らしいことだと思う。
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