近所にアジサイが咲いている。爽やかだ。束の間、梅雨の鬱陶しさを忘れさせてくれる。
アジサイを見ると「ああ、お滝さんが咲いているなあ」と僕は思う。アジサイの学名はヒドランゲア・オタクサ(後にヒドランゲア・マクロフィア・ヴァル・オタクサと変更された)で、このオタクサは「お滝さん」、つまりシーボルトの妻のことだ。シーボルトはことのほかアジサイを愛したそうだが、学名を付ける際に愛妻の名を付けたのである(植物学の草創期には新種の植物に自分の妻や娘の名をつけることが流行ったが、現在は禁じられているそうだ)。
岩手県立博物館で開催中の〈シーボルト・コレクション日本植物図譜展〉に行ってきた。サブ・タイトルに「日本のボタニカル・アートの原点」と謳っている。これは『日本植物誌』編纂のために、シーボルトが日本で収集した植物画のコレクションである。シーボルトが送った植物画をもとに植物学者のツッカリーニが『日本植物誌』を著したのである。ツッカリーニは善人だったようで、シーボルトをこの本の共著者としたばかりでなく、発見した新種に命名する際も「ツッカリーニ・エト・シーボルト(ツッカリーニとシーボルト)」と二人の名を付けている。それで、シーボルトは医者としてばかりでなく、植物学者としても名を残すことになった。
膨大な数(と言っていいと思う)の植物画を見ていたら、桂川甫賢という画家の名前があった。『解体新書』を訳した桂川甫周の養孫だ。シーボルト来日の五十年近く前、浦川甫周はツュンペリーに協力して、日本の植物のことを教えた人だ。ツュンペリーは植物分類学の基礎を築いたリンネの使徒として日本に来ていたのだ。
これらのことを僕は『青森ひば物語』(北の街社)で読んだ。ツーリングのときに立ち寄った青森市内の書店で手に入れたこの本は、アモオリヒバに関する百科全書というべきもので、本格ミステリー小説と歴史大河小説に通じる面白さがあったのに、今は手に入らないらしい。
さて、実用品だった植物画をアートと呼んでいいものかどうか。確かに、フレスコ画なども宗教上の実用品だったわけで、実用品とアートの境界は極めて曖昧だ。芸術には「芸術であることを意識して制作したもの」とそうでないものの二種類が存在するのだ。まして、ボーダーレス化が進む現代にあっては、こういう疑問のほうがナンセンスなのだろう。
ところが、展示されている植物画には、明らかに実用品からの逸脱を試みたものもあった。それは葉の重ね方や、枝と葉、あるいは枝と花などの「バランスを考えた構図とある種の遊び」といった逸脱なのだが、そんなふうに見るのは僕の考えすぎだろうか。いっぱしの腕の画家(当時は絵師と呼ばれていたのかもしれない)だったら、写実を繰り返しているうちに、そこから離れていくのが本能的な衝動だと僕は思う。
そして、ここに見られる線の美しさを何と言ったらいいのだろう。もちろん、鉛筆などなかっただろうから、馬の尻尾の先のような筆で、いっきに描いた線だ。
「昔の人のほうがうまかったんじゃないでしょうか」
岩手放送デザイン室の杉本吉武さんをつかまえてそう言ったら、杉本さんは苦笑なさっていた。
植物画にかける熱意と愛情がひしひしと伝わってきて、圧倒される展覧会だった。
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